せて眠りも成らず。
然れども、いつかは春の帰り来らんに、
好し、顧みる物はなしとも、破運の余に、
たゞ何心なく春は待ちわぶる思ひする、
余は獄舎《ひとや》の中より春を招きたり、高き天《そら》に。
遂に余は春の来るを告《つげ》られたり、
鶯《うぐいす》に! 鉄窓の外に鳴く鶯に!
知らず、そこに如何なる樹があるや?
梅か? 梅ならば、香《かおり》の風に送らる可《べ》きに。
 美くしい声! やよ鶯よ!
余は飛び起きて、
 僅に鉄窓に攀《よ》ぢ上るに――
鶯は此響《ひびき》には驚ろかで、
 獄舎の軒にとまれり、いと静に!
余は再び疑ひそめたり……此鳥こそは
 真《まこと》に、愛する妻の化身ならんに。
鶯は余が幽霊の姿を振り向きて
 飛び去らんとはなさずして
再び歌ひ出でたる声のすゞしさ!
 余が幾年月の鬱《うさ》を払ひて。
卿《おんみ》の美くしき衣は神の恵みなる、
卿の美くしき調子も神の恵みなる、
卿がこの獄舎《ひとや》に足を留《と》めるのも
また神の……是《こ》は余に与ふる恵《めぐみ》なる、
 然り! 神は鶯を送りて、
余が不幸を慰むる厚き心なる!
 嗚呼夢に似てなほ夢ならぬ、
余が身にも…
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