そを運ぶ事さへ容《ゆる》されず、
各自《かくじ》限られたる場所の外《ほか》へは
 足を踏み出す事かなはず、
  たゞ相通ふ者とては
  仝《おな》じ心のためいきなり。

   第四
   四人の中にも、美くしき
   我《わが》花嫁……いと若《わ》かき
   其の頬《ほお》の色は消失《きえう》せて
   顔色の別《わ》けて悲しき!
   嗚呼余の胸を撃《う》つ
   其の物思はしき眼付き!
彼は余と故郷を同じうし、
 余と手を携へて都へ上りにき――
京都に出でゝ琵琶《びわ》を後《あと》にし
 三州の沃野《よくや》を過《よぎ》りて、浜名に着き、
富士の麓に出でゝ函根《はこね》を越し、
 遂に花の都へは着《つき》たりき、
愛といひ恋といふには科《しな》あれど、
 吾等雙個《ふたり》の愛は精神《たま》にあり、
花の美くしさは美くしけれど、
 吾が花嫁の美《び》は、其《その》蕊《しべ》にあり、
梅が枝《え》にさへづる鳥は多情なれ、
 吾が情はたゞ赤き心にあり、
彼れの柔《よわ》き手は吾が肩にありて、
 余は幾度《いくたび》か神に祈《いのり》を捧《ささげ》たり。
 左《さ》れどつれなくも風に妬《ねた》まれて、
  愛も望みも花も萎《しお》れてけり、
一夜の契《ちぎ》りも結ばずして
花婿と花嫁は獄舎《ひとや》にあり。
 獄舎は狭し
 狭き中にも両世界《りようせかい》――
彼方《かなた》の世界に余の半身《はんしん》あり、
此方《こなた》の世界に余の半身あり、
彼方が宿《やど》か此方が宿か?
 余の魂《たま》は日夜《にちや》独り迷ふなり!

   第五
あとの三個《みたり》は少年の壮士なり、
 或は東奥《とうおう》、或は中国より出でぬ、
彼等は壮士の中にも余が愛する
 真に勇豪なる少年にてありぬ、
左《さ》れど見よ彼等の腕《うで》の縛らるゝを!
 流石《さすが》に怒れる色もあらはれぬ――
 怒れる色! 何を怒りてか?
  自由の神は世に居《い》まさぬ!
兎《と》は言へ、猶《な》ほ彼等の魂《たま》は縛られず、
 磊落《らいらく》に遠近《おちこち》の山川に舞ひつらん、
 彼の富士山の頂《いただき》に汝の魂《たま》は留《とどま》りて、
 雲に駕し月に戯れてありつらん、
嗚呼何ぞ穢《きた》なき此の獄舎《ひとや》の中に、
 汝の清浄《せいじよう》なる魂《たま》が暫時《しばし》も居《お》らん!
斯く云ふ我が魂も獄中にはあらずして
 日々夜々《ひびやや》軽るく獄窓《ごくそう》を逃《にげ》伸びつ
余が愛する処女の魂も跡を追ひ
 諸共《もろとも》に、昔の花園《はなぞの》に舞ひ行きつ
塵《ちり》なく汚《けがれ》なき地の上には[#「は」に〔ママ〕と傍書]ふバイヲレット
其名もゆかしきフォゲットミイナット
 其他種々《いろいろ》の花を優しく摘みつ
ひとふさは我《わが》胸にさしかざし
 他のひとふさは我が愛に与へつ
ホツ! 是《こ》は夢なる!
見よ! 我花嫁は此方《こなた》を向くよ!
其の痛ましき姿!
   嗚呼爰《ここ》は獄舎
   此世の地獄なる。

   第六
世界の太陽と獄舎《ひとや》の太陽とは物異《かわ》れり
 此中には日と夜との差別の薄かりき、
何《な》ぜ……余は昼眠《ね》る事を慣《なれ》として
 夜の静《しずか》なる時を覚め居《い》たりき、
ひと夜《よ》。余は暫時《しばし》の坐睡《ざすい》を貪《むさぼ》りて
 起き上り、厭《いと》はしき眼を強ひて開き
見廻せば暗さは常の如く暗けれど、
 なほさし入るおぼろの光……是れは月!
月と認《み》れば余が胸に絶えぬ思ひの種《たね》、
 借《かり》に問ふ、今日《きよう》の月は昨日《きのう》の月なりや?
  然り! 踏めども消せども消えぬ明光《ひかり》の月、
嗚呼少《わか》かりし時、曽《か》つて富嶽《ふがく》に攀上《よじのぼ》り、
 近かく、其頂上《いただき》に相見たる美くしの月
美の女王! 曽つて又た隅田《すみだ》に舸《ふね》を投げ、
花の懐《ふところ》にも汝《なんじ》とは契《ちぎり》をこめたりき。
  同じ月ならん! 左《さ》れど余には見えず、
  同じ光ならん! 左れど余には来らず、
   呼べど招けど、もう
   汝は吾が友ならず。

   第七
 牢番は疲れて快《よ》く眠り、
 腰なる秋水のいと重し、
 意中の人は知らず余の醒《さめ》たるを……
 眠の極楽……尚ほ彼はいと快《こころよ》し
 嗚呼二枚の毛氈《もうせん》の寝床《とこ》にも
 此の神女の眠りはいと安し!
 余は幾度も軽るく足を踏み、
 愛人の眠りを攪《さま》さんとせし、
 左《さ》れど眠の中に憂《うさ》のなきものを、
 覚《さま》させて、其《そ》を再び招かせじ、
 眼を鉄窓の方に回《か》へし
 余は来《く》るともなく窓下に来れり
 逃路を得ん
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