神的とか、大層なものを持ち出して、十字軍とは余り大袈裟《おほげさ》にあらずや、凡神的とは多分、禅道を唱へらるゝ天知翁を苦《く》るしめる積《つもり》にて、唯心的とは僕をいぢめる積ならむ。成程、耶蘇教から云へば唯心的は悪るからう、さりながら耶蘇教の中にも唯心的に傾いたものも有らうし、唯物的に傾いた者もあらう、さては又た、君の所謂《いはゆる》唯心的とは絶対に悪るいといふのであるか、若《も》し左様なれば、カントでもヘーゲルでも、スピノザでも御相手に成されて、主観的アイデアリズムでも客観的アイデアリズムでも、絶対的アイデアリズムでも何でも彼でも撃ち平げられたが宜からうと存ずるなり。僕が少しくアイデアリズムに傾いたからとて、十字軍まで起して方々を騒がせるは、僕を人間の片端と思つて下さる事、何とも有難き仕合せなるが、僕は未だアイデアリズムを奉ずる者だとも云はず、如何なる学派の、如何なるアイデアリズムを取るとも云はぬに、十字軍は余り早からずや。僕の詩文が多少アイデアルに流れるは僕も知つて居る。併し、それは詩文の上の事にて、宗教上の問題でもなく、哲学上の問題でもなし。アイデアルとリアルとは詩文の上では誰も免かれない事にて、これをしも攻撃せば文学全躰を攻撃するより外はあるまじ、君の所謂非文学とは此の意味なりや、僕は斯《か》く信ぜざるなり。十字軍丈は御中止を願ふものに候。
[#地から2字上げ](明治二十六年五月)
底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「文學界 五號」文學界雜誌社
1893(明治26)年5月31日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2005年3月30日作成
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