頓脱し、恋愛の方向一転して、皮膚の愛慕を転じて内部精神の美に対する高妙なる愛慕を興発せり。この愛慕は一の目的物に聚《あつま》りて、而して四散せり、四散せるもの再《ま》た聚りて或一物の上に凝れり、彼の以後の生涯、是を証するを見るべし。
最後に彼は此際に於て仏智を得たり。彼は無慚、無愧、無苦、無憂にして、百煩悩の繁擁《はんよう》するところとなりて、自《みづか》ら知ること能はざりしなり。然《しか》るに発露刀一たび彼の心機を断截《だんせつ》するや、彼は自ら依怙《いこ》するところを喪《うしな》ひたり、仏智はこの一瞬間に彼の中《うち》に入り、彼をして照明の心鏡に対せしめ、慚愧苦憂、輾転煩悶せしめ、然る後に自己を寄するところを知らしめたり。
凡《およ》そ傲逸彼の如きは、乱世にありて一仏徒として終ること能はざるところなり、然るに彼をして遂に剣鎗に杖《つゑつ》かずして、経典に倚《よ》らしめたるもの、抑《そも》いかなる鬼物の神力ならむ。他《ほか》ならず、この一瞬時の発露刀なり、心機妙変なり。剛健彼の如く、執着彼の如く、驕慢彼の如く、血性彼の如きものをして、志の壮偉なる事は全盛の平家を倒して孤島飄落の人を起す程にありて、而して胸中一物の希《ねが》ふところなく、単《た》だ一寺の建立を願欲せしむるに過ぎざりしもの、抑も奈何《いかん》の故ある。曰く彼時《かのとき》の変化なり。熱烈の舌一世を罵り、勇猛の気英雄を呑み、豪快天地を嘲るが如き挙動を為しながら、別に一片の真率無慾なるところ、専念|回向《ゑかう》するところ、瞑目静思する処ろ、殆数個の人あるが如き観あるもの、何ぞや。曰く、彼時《かのとき》の発心なり、彼時の心機妙変なり。彼時に得たるものが深く胸奥に印して、抹除すること能はざればなり。噫《あゝ》この、ある意味に於ての荒法師が、筐中《きやうちゆう》常に彼可憐の貞女の遺魂を納めて、その重荷を取り去ることを得ざりしと、懸瀑に難行して、胸中の苦熱|鎖《とざ》し難き痛悩とは、豈《あに》生悟《なまざと》りの聖僧の能く味ふを得るところならんや。
冷淡にして熱血ある好漢、遂に半悟の人とならず、能く自家の弱性を暴露し、罪業を懺悔《ざんげ》せり。然り、彼の一生は事業の一生にあらずして、懺悔の一生なり、彼を以て改革家なりと評する如きは、蛇尾を見て蛇頭を見ざるの論なり。
文覚が袈裟を害したるは実に彼の心機を開発したるものなり、蓮花蕾を破りて玉女泥中に現れたるは、実にこの晨《あした》なり。至善の至悪を仆《たふ》したるもこの朝《あした》なり、無漏の有漏に勝ちたるも、光明の無明を破りたるも、神性人性を撃砕したるも、皆この時に於てありしなり、而して其時間は一閃電の間に過ぎず、人|終《つひ》に戦はずして勝つ能はざるか、仆れずして起《おき》る能はざるか、われは文覚の為に悲しむ、われは彼の発機《はつき》を観じて、彼の為に且つ泣き且つ喜ぶ、彼をして斯《かく》の如き大毒刃の下に大発心を得せしめたる神意、果して如何《いかん》。天知子の「女学生」に載せし「怪しき木像」我眼前《わがめのまへ》に往来して、遂に我をして未熟の文を出《いだ》すに至らしめぬ。アーノルドの「あづま」世に出《いづ》るの時は近しと聞く、英国の詩宗が文覚を観るの眼光いかんは、読者と共に刮目《くわつもく》して待つべし。
[#地から2字上げ](明治二十五年九月)
底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「女學雜誌 三二八號」女學雜誌社
1892(明治25)年9月24日
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月6日作成
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