然的屈曲を経て茲《こゝ》に至りしなり、而《しか》して其尤も近き親《しん》は、戯曲と遊廓とにてありしなり。戯曲の事は他日論ず可ければ此には擱《お》きつ。遊廓と粋様の関係に就きては一言するも無益ならざるべし。抑も当時武門の権勢漸く内に衰へて、華美を競ひ遊惰を事とするに及びて、風教を依持す可き者とては僅《わづか》に朱子学を宗とする儒教ありしのみ。而して儒教の風教を支配する事能はざるは、往時|以太利《イタリー》に羅馬《ローマ》教の勢力地に堕ちて、教会は唯だ集会所たるが如き観ありしと同様の事実なり。然るに各藩の執政者にして杞憂《きいう》ある者は法を厳にし、戒を布《し》きて、以て風俗の狂瀾を遮《さへ》ぎり止めんと試みけれども、遂に如何《いかん》ともする能はず。外には厳格を装ひたる武士道の勇者も、内は言ひ甲斐なき遊冶郎《いうやらう》にてありし。泰平と安逸とは人心を駆つて遊蕩に導くは古今歴史上の通弊なり。徳川氏三百年の治世の下に遊廓の勢力甚だ蔓延したりしも、亦た止《やむ》を得ざる事実なり。
勇武の士気漸く衰へ、儒道は僅に一流の人心を抑へ、滔々たる遊蕩の気風世に流るゝに当つて、粋様なる文学上の理想世に
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