道に対する躓石《しせき》ならんかし。近く人口に鱠炙《くわいしや》する文里の談《はなし》の如き、尤も此説を固からしむるに足る可し。
次に粋道と恋愛と相撞着すべき点は、粋の双愛的ならざる事なり。抑も粋は迷はずして恋するを旨とする者なり、故に他を迷はすとも自らは迷はぬを法となすやに覚ゆ。若し自ら迷はゞ粋の価直既に一歩を退《しりぞ》くやの感あり。迷へば癡なるべし、癡なれば如何にして粋を立抜《たてぬ》く事を得べき。粋の智は迷によりて已《すで》に失ひ去られ、不粋の恋愛に堕《お》つるをこそ粋の落第と言はめ。故に苟《いやし》くも粋を立抜かんとせば、文里が靡《なび》かぬ者を遂に靡かす迄に心を隠《ひそ》かに用ひて、而して靡きたる後に身を引くを以て最好の粋想とすべし。我も迷はず彼も迷はざる恋も粋なり、彼迷ひ我迷はざる間も或は粋なり、然れども我も迷ひ彼も迷ふ時、既に真の粋にあらず。
今「伽羅枕」を読むに粋の粋を写さんとせし跡、歴々として見受けらる。佐太夫なる一美形の生涯に想像したるところを悉《こと/″\》く此粋に帰す可きにはあらねど、其境界より見れば、即ち世の俗粋をたらかし尽し、世の金銀を砂礫と見做《みな》し、世の栄華を色道の中に収め尽さんとせし心意気を見れば、彼れの出家前の日々の生涯の半ばは粋道の極意を貫ぬくにありし事知る可し。読者若し詳《つまびらか》に「伽羅枕」の後半部を読まば、彼の義気、彼の侠気、彼の毒気とを兼ね合せて、一条の粋抜く可からざるあるを見む。其の田島に対するを見よ、其幼児に対するを見よ、其幸助に嫁して後に、正助の嘱《たの》みに応じて富四郎を難なく説き伏せたる後、又た正助にも股を喰はせし粋気を見よ。而して最後に猛然悔悟して、横死《わうし》せしめし三十有余の癡漢の冥福を祈るに至りしを見よ。之れ即ち粋の本性にはあらずや。
佐太夫始めより真の恋を味はゝざるに似たり。対手とするところ多くは霜頭の老爺にして、自らを盲目とすべきものに会はざりし。否《い》な会はざるにあらざるべし、作者の彼を写して粋癖を見《あら》はすや、已《すで》に恋愛と呼べる不粋者を度外視してかゝれるを知らざる可からず。粋癖なる者の、堅固なる恋愛の敵にして、凡てのフレールチーと相伴はざるを表はすを知らざる可からず。粋の凝りたる者には、如何なる者も矢を向くる事能はざるを示せし著者の粋道の理想、高しと言はざる可からず
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