情熱
北村透谷

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)情熱《イムパツシヨンド》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)情熱|畢竟《ひつきやう》するに

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)スウ※[#小書き片仮名ヰ、160−下−7]フト
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 ミルトンは情熱《イムパツシヨンド》を以て大詩人の一要素としたり。深幽と清楚《せいそ》とを備へたるは少なからず、然れどもまことの情熱を具有するは大詩人にあらずんば期すべからず。サタイアをもユーモアをも適宜に備ふるものは多くあれど、情熱を欠くが故に真正の詩人たらざるもの挙《あげ》て数ふべからず。情熱なきサタイアリストの筆は、諷刺の半面を完備すれども、人間の実相を刻むこと難し。ボルテーアとスウ※[#小書き片仮名ヰ、160−下−7]フトの偉大なるは、その諷刺の偉大なるに非ずして、其情熱の熾烈《しれつ》なるものあればなり。ユーモリストに到りては自《おのづか》ら其趣を異にすれども、之とても亦た隠約の間に情熱を有するにあらざれば、戯言戯語の価直《かち》を越ゆること能はざるべし。
 然はあれども尤も多く情熱の必要を認むるはトラゼヂーに於てあるべし。シユレーゲルも悲曲の要素は熱意なりと論じられぬ。熱意、情熱|畢竟《ひつきやう》するに其|素《もと》たるや一なり。情熱を欠きたる聖浄は自から講壇より起る乾燥の声の如く、美術のヱボルーシヨンには適《かな》ひ難し。情熱を欠きたる純潔は自から無邪気なる記載に止りて、将《は》た又た詩的の変化を現じ難し。情熱を欠きたる深幽は自からアンニヒレーチーブにして、物に触れて響なく、深淵の泓澄《わうちよう》たる妙趣はあれども、巨瀑空に懸つて岩石震動するの詩趣あらず。凡《およ》そ美術の壮快を極むるもの、荘厳を極むるもの、優美を極むるもの、必らず其の根底に於て情熱を具有せざるべからず。内に欝悖《うつぼつ》するところのものありて、而して外に異粉ある光線を放つべし、情熱はすべてこのものに奇異なる洗礼を施すものなり、特種の進化を与ふるものなり、「神聖」といふ語、「純潔」といふ語などに、無量の味ある所以《ゆゑん》のものは畢竟或度までは比較的のものにして、情熱と纏繋《てんけい》するに始まりて、
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