々不識の中《うち》にわれは「我」を失ふなり。而して我も凡《すべ》ての物も一に帰し、広大なる一が凡てを占領す。無差別となり、虚無となり、糢糊《もこ》として踪跡《そうせき》すべからざる者となるなり。澹乎《たんこ》たり、廖廓《れうくわく》たり。広大なる一は不繋の舟の如し、誰れか能く控縛《こうばく》する事を得んや。こゝに至れば詩歌なく、景色なく、何《いづれ》を我《われ》、何を彼と見分る術《すべ》なきなり、之を冥交と曰ひ、契合とも号《なづく》るなれ。
冥交契合の長短は、霊韻を享《う》くるの多少なり。霊韻を享くるの多少は、後に産出すべき詩歌の霊不霊なり。冥交契合の長き時は、自《おのづか》ら山川草木の中《うち》に己れと同様の生命を認め来つて、一条の万有的精神を遠暢《ゑんちやう》し、唯一の裡《うち》に円成せる真美を認め、われ彼れが一部分か、彼れわれが一部分か、と疑ふ迄に風光の中《うち》に己れを箝入《かんにふ》し得るなり。この時に当つて句を求むるも得べからず。作調家《タイミスト》は遠く離れたり。詩人は斯《かゝ》る境界にあつて、句なきを甘んずべし。蕉翁が松島に遊びて句なかりしは、果して余が読むところの如
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