るに、未だ妖魅を受けざるに、未だ造化の秘蔵に近《ちかづ》かざるに、先づ筆管を握つて秀句を吐かんとする者多し。造化に対して礼を失ふ者と云ふべし。彼等は彫琢《てうたく》したる巧句を得べし、然れども妖魅せられざる前の巧句は人工なり、安《いづく》んぞ神霊に動かされたる天工の奇句を咏出する事を得んや。ひとり探景の詩文のみに就きて云ふにあらず、凡《すべ》ての文章が神《しん》に入ると神に入らざるとは、即ち此|境《さかひ》にあり。古来の大作名著が神に入れるは、孰《いづ》れ神霊に動かさるゝを待ちて筆を握らざる者のあるべき。一たび妖魅せらるゝは、蓋し後に澄清なる識別を得るの始めなるべけれ。
勝景は多少のインスピレイシヨンを何人《なんぴと》にも与ふる者なり。故に勝景は如何なる田夫《でんぷ》野郎をも詩気《しふう》を帯びて逍遙する者とならしむるなり。然るに所謂《いはゆる》詩客なる者多くは、勝景を以て詩を成さゞる可らざる所と思ふ。勝景をして自然に詩を作らしめず、自《みづか》ら強ひて詩を造らんとす。こは実に設題して歌を造る歌人の悪風と共に日東の陋習なり。彼等をして造詩家たらしむるも、詩人たらしめざるもの茲《こゝ》
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