大方便と題するものは、即ち所謂コンペンセイシヨンの大法なるにあらずや。故に富山の洞を言ふ時は、馬琴の想像中に於て、因果の理法をつゞめたる一幻界に外ならじ。
この幻界に、かの妖犬に伴はれて入りぬる伏姫はいかに。
山峡に伴はるゝ時の決心は、身を妖犬に許せしなり。許せしとは雖《いへ》ども、肉膚を許せしにはあらず、誠心を許せしなり。この誠心は抛げて八房の首《かうべ》にかゝれり。渠《かれ》もしこの誠心を会得すれば好し、然らざれば渠を一刀に刺殺さんとの覚悟あり。彼の感得せし水晶の珠数は掛《かけ》て今なほ襟にあり、護身刀《まもりがたな》の袋の緒は常に解《とき》て右手《めて》に引着けたり、法華経八軸は暫らくも身辺を離れず、而して大凡悩大業獣に向ふこと莫逆《ばくぎやく》の朋友に対するが如し。誠心は非類にも許すべしとすれど、肉膚は堅く純潔を守りて畜生に許さず。一方には穢土穢物を嫌ひたまはざる仏の慈悲に似たるものあり、他方には餓鬼畜生の慾情と戦へる霊妙なる人類としての純潔あり。これ伏姫が洞《ほら》に入りたる時の有様なり。
「又あるときは。父母《ちゝはゝ》のおん為に。経の偈文《げもん》を謄写《かきうつ》し
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