かききり》たる時に、一朶《いちだ》の白気閃めき出で、空に舞ひ上りたる八珠「粲然《さんぜん》として光明《ひかり》をはな」つに及びて、「歓《よろこば》しやわが腹に。物がましきはなかりけり。神の結びし腹帯も。疑ひも稍《やゝ》解《とけ》たれば。心にかゝる雲もなし。」云々《しか/″\》と云ふに至りては、明らかに因果の結局をあらはして、八房と伏姫との関係を閉ぢたり。
 要するに伏姫は因果の運命にその生涯を献じたる者なり。因果は万人に纏ひて悲苦を与ふるものなるに、万人は其|繩羅《じようら》を脱すること能はずして、生死の巷に彷徨《はうくわう》す、伏姫は自ら進んでこの大運命に一身を諾《ゆだ》ねたるものなり。義[#「義」に白丸傍点]は彼をこの大運命の囚獄に連れ行きたる囚吏なり、宿因は八房に代表せられて、彼を破滅に導きたるなり。破滅は又た幸福を里見の家に臨《きた》らせたるなり。凡《すべ》て是等の錯綜せる哲理の外に、晃々としてこの大作を輝かすものこそあれ。そを何ぞと曰ふに、伏姫の純潔なり。始めより終りまでの純潔なり。その純潔の誠実は通じて非類の八房を成仏せしめしは、尊ふとしと言ふも愚ろかなり。

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 わが伏姫を論ぜんと企てしは、その純潔[#「純潔」に白丸傍点]を観察するに止《とゞ》めんとせしなるに、図らずも馬琴の哲学に入りて因果論|等《など》をほのめかすに至りぬ。浅学の身にして文学上の大問題に蹈入りたるは深く自ら恥づるところ。読者もしこの心して読まざれば、或は我が精神に違《たが》はむことを恐る。
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[#地から2字上げ](明治二十五年十月)



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「女學雜誌 三二九號」女學雜誌社
   1892(明治25)年10月8日
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月6日作成
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