未来とを注射せり、歴史は其過去を語り、約束は其の未来を談ず。而して真個に社会の、国家の、人間の精神たる此の最上府を囲繞し、其の運動を支配し、其の一|是《ヱー》及び一|非《ネー》を左右するもの彼の「思想」なりとせば、其の威力の壮大なる、得て名状すべからざるものあるなり。
 顧みて明治以後の歴史を見よ、如何《いか》に其政治社会が紛糾錯雑して、奇々怪々なる役者の乱舞跳梁を許したるか。如何に其の文学社会が、暴騰暴下して幾多の才子を送迎したるか。政治の如き文学の如き、実にこれ「思想」が正当に擁護せらるべき聖殿の築かれてあらざるべからざるところなるに、悲しいかな、未だ其の礎石さへも見る能はず、哲学者の名誉は能《よ》く罵るに因つて揚り、政治家といふものゝ価値は能く弁ずるに因つて知らる、能く売れるもの名誉ある小説家たり、斯の如くんば寧ろ哲学者も、政治家も、小説家も世に無きに如《し》かざるなり。
 今日は大激変の時に際す。思想界に立てるもの各自一個の新人間たり、各自一個の新天地たり、俯しても仰いでも自己の中に存在する使命は、之を拭ひ去ること能はざるなり。此際に当つて能く我が最上府の命ずる所を奉じ、識る所あらば之を言ひ、道とするところあらば之を示し、説くべきことあれば之を説く、以て学者たるを得べく、以て詩人たるを得べく、以て政治家たるを得べし。願はくは「思想」の聖殿を政治と文学の舞台の中に置かん。
[#地から2字上げ](明治二十六年九月)



底本:「現代日本文學体系6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「評論 十三號」女學雜誌社
   1893(明治26)年9月23日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2007年11月27日作成
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