ゝ》る無邪気の労力をもて我はわが胸中に蟠《わだかま》りたる不平を抑へつ、疲れて帰る夜の麦飯《むぎめし》の味、今に忘れず、老畸人わが往事を説きて大に笑ふ時、われは頭を垂れて冥想す。昔日《せきじつ》のわが不平、幽鬼の如くにわが背後《うしろ》に立ちて呵々《かゝ》とうち笑ふ。遮莫《さもあらばあれ》、わがルーソー、ボルテイアの輩《はい》に欺かれ了らず、又た新聞紙々面大の小天地に※[#「皐+栩のつくり」、第3水準1−90−35]翔《かうしやう》して、局促たる政治界の傀儡子《くわいらいし》となり畢《をは》ることもなく、己《おの》が夙昔《しゆくせき》の不平は転じて限りなき満足となり、此満足したる眼《まなこ》を以《も》て蛙飛ぶ古池を眺《ながむ》る身となりしこそ、幸ひなれ。
 余は八王子に一泊するを好まざりしと雖《いへども》、老人の意見|枉《ま》げ難く止むことを得ずして、俗気都にも増せる市塵《しぢん》の中《うち》に一夜を過せり。明くれば早暁|覊亭《きてい》を出で、馬車に投じて高雄山に向ふ、この時のわが口占《くちずさみ》は、
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すゞ風や高雄まうでの朝まだち
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 路に梭《をさ》の音《おと》の高く聞ゆる家ありければ眼《まなこ》を転じて見るに、花の如き少女《むすめ》ありて杼《ひ》を用ゆること甚だ忙《せ》はし、わが蓬莱曲の露姫が事を思ひ出でゝなつかしければ、能く其|面《おもて》を見んとするに、馬車は行き過ぎてその事かなはず、彼少女が※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]の外におもしろき花の咲けるに心づきて、其名を問へば、鋸草《のこぎりさう》なりと言《いふ》に、少女の風流思ひやられて、句一つ読みたれども難あれば載せず。
 琵琶滝より流れ落つる水のほとりの茶亭にて馬車に別れ、これより登り三十八丁、といふも霊山の路は遠からず。道すがら巣林子の曲を評しあひ、治兵衛梅川などわが老畸人の得意の節おもしろく間拍子とるに歩行《かち》も苦しからず、蛇《じや》の滝をも一見せばやと思しが、そこへも下《おり》ず巌角に憩《いこひ》て、清々冷々の玄風《げんぷう》を迎へ、体《たい》静《しづか》に心|閑《のどか》にして、冥思を自然の絶奥《ぜつおく》に馳せて、聊《いさゝ》か平生の煩羅を洗ふ。幽山に登《のぼる》の興は登《のぼり》つきたる時にあらず、荒榛《くわうしん》を披《ひら》き、
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