業《げふ》を重《おも》んず、工業《こうげう》甚《はなは》だ盛《さかん》ならざるが故《ゆゑ》に中等社界《ちうとうしやくわい》の存《そん》するところ多《おほ》くは粗朴《そぼく》なる農民《のうみん》にして、思《おも》ひ狹《せま》く志《こゝろざし》確《かく》たり。然《しか》れども別《べつ》に社界《しやかい》の大弊根《たいへいこん》の長《なが》く存《そん》するありて、壯年有爲《そうねんゆうい》の士《し》をして徃々《おう/\》にして熱火《ねつくわ》を踏《ふ》み焔柱《ゑんちう》を抱《いだ》くの苦慘《くさん》を快《こゝろよし》とせしむる事《こと》あり。佛人《フツジン》の如《ごと》くに輕佻《けいてふ》動《うご》き易《やす》きにあらず、默念焦慮《もくねんせうりよ》して毒刄《どくじん》を懷裡《かいり》に蓄《たくは》ふるは、實《じつ》に露人《ロジン》の險惡《けんあく》なる性質《せいしつ》なり。
「罪《つみ》と罰《ばつ》」は實《じつ》にこの險惡《けんあく》なる性質《せいしつ》、苦慘《くさん》の實况《じつけう》を、一個《いつこ》のヒポコンデリア漢《かん》の上《うへ》に直寫《ちよくしや》したるものなるべし。ドスト氏《し》は躬《みづか》ら露國《ロコク》平民社界《へいみんしやくわい》の暗澹《あんたん》たる境遇《けふぐふ》を實踐《じつせん》したる人《ひと》なり、而《しか》して其《その》述作《じゆつさく》する所《ところ》は、凡《およ》そ露西亞人《ロシアジン》の血痕《けつこん》涙痕《るいこん》をこきまぜて、言《い》ふべからざる入神《にうしん》の筆語《ひつご》を以《も》て、虚實《きよじつ》兩世界《りようせかい》に出入《しゆつにう》せり。ヒポコンデリア之《こ》れいかなる病《やまい》ぞ。虚弱《きよじやく》なる人《ひと》のみ之《これ》を病《や》むべきか、健全《けんぜん》なる人《ひと》之《これ》を病《や》む能《あた》はざるか、無學《むがく》之《これ》を病《や》まず却《かへ》つて學問《がくもん》之《これ》を引由《いんゆう》し、無知《むち》之《これ》を病《や》まず、知識《ちしき》あるもの之《これ》を病《や》む事《こと》多《おほ》し。人生《じんせい》の恨《うらみ》、この病《やまい》の一大要素《いちだいようそ》ならずんばあらじ。
 開卷第一《かいかんだいゝち》に、孤獨幽棲《こどくゆうせい》の一少年《いつしようねん》を紹介《
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