いふ思想あらざるなり。基督が世に遣《や》れる政治家は即ち彼なり。
 世は相戦ふ、人は相争ふ、戦ふに尽くる期あるか。争ふに終る時あるか。殺す者は殺さるゝ者となり、殺さるゝ者は再《ま》た殺す者となる。勝と敗と誰れか之を決する。シイザルの勝利、拿翁《ナポレオン》の勝利、指を屈すれば幾十年に過ぎず、これも亦た蝴蝶の夢か。誰れか最後の勝利者たる、誰れか永久の勝利者たる。
 不調実《インコンシステンシイ》にして戦争の泉源なりとせば、調実は平和の始めなり。争はず戦はざる事を得るはひとり調実なりとせば、終《つひ》に勝たず終に敗れざる者、ひとり調実のみならむ。終に勝たず終に敗れざる者は、真に勝つものにあらざるを得んや。故に曰く、最後の勝利者は調実なりと。調実、言を換ゆれば真理、再言すれば基督。
 来れ、共に基督の旗に簇《あつ》まらむ。われら最後の勝利者に従ひ、以てわれらの紛糾せる戦争の舞台を撤去せむ。平和は、われらが基督にありて領有する最後の武器なり。
[#地から2字上げ](明治二十五年五月)



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第
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