国の区劃は彼に於て左《さ》までの事にはあるまじきが、その天賦の気稟《きひん》に於て、少くともその国民を代表する所なき能はず。之を以てバイロンは如何にその故国を罵るとも、英国の一民たるに於ては終始変るところなく、深く之を其の著作の上に印せり。之を以てレッシングは仏国の思想がライン河を渉《わた》りて、縦《ほしいまゝ》に其の郷国の思想を横領するを悪《にく》みて、大に国民の夢を醒したり。斯く詩人も亦た其の郷土の愛国者たるは、抜くべからざる天稟の存するあればなるべし。
 詩人豈に国民の為にのみ産《うま》れんや、詩人豈に所謂国民的なる狭少なる偏見の中にのみ限られんや、然れども事実に於て、詩人も亦た愛国家なり、詩人も亦た国民の中に生くるものなり。拿翁《なをう》の侵略に遭ひて国亡び、家破れんとするに当りて、従容として、拿翁の玉座に近づき、彼をして言ふ可からざる敬畏の念を抱かしめたるギヨーテが、戦陣に臨みて雑兵の一人となり、尸《しかばね》を原頭に暴《さ》らさゞるの故を以て、国民的ならずと罵るものあらば、吾人は其の愚を笑はずんばあらざるなり。

     (9)[#「(9)」は縦中横] 創造的勢力の淵源

 吾人は再び曰ふ、今日の思想界に欠乏するところは創造的勢力なりと。模倣、卑しき模倣、之れ国民の、尤も悲しむべき徴候なり、我は英国文学を唱道すと宣言し、我は独逸文学を唱道すと宣言し、我は仏国文学を唱道すと宣言す、その外に又た、我は英国思想を守ると曰ひ、我は米国思想を伝ふと曰ひ、我は何、我は何と、各々便利の思想に拠《よ》つて、国民を率ゐんとす。而して又た、少しく禅道を謂ふものあらば、即ち固陋《ころう》なりと罵り、少しく元禄文学を道《い》ふものあらば、即ち苟且《かりそめ》の復古的傾向なりと曰ふ。嗚呼不幸なるは今の国民かな。彼等は洋上を渡り来りたる思想にあらざれば、一顧の価なしと信ずるの止むべからざるものあるか。彼等は摸傚《もかう》の渦巻に投げられて、何時まで斯くてあらんとする。今日の思想界、達士を俟《ま》つこと久し、何ぞ奮然として起り、十九世紀の世界に立つて恥づるなき創造的勢力を、此の国民の上に打ち建てざる。復古、爾も亦た頼むべからず。消化、爾も亦た頼むべからず。誰か能く剛強なる東洋趣味の上に、真珠の如き西洋的思想を調和し得るものぞ、出でよ詩人、出でよ真に国民大なる思想家。外来の勢力と、過
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