ちゆう》し、演者之が為に顧眄《こべん》せば、大なる劇詩は不幸にして望むべからざるに至らんか。
要するに我劇は整合を以て美の眼目とし、演者も観客も之を以て演劇の骨髄と認むるものなり。吾人は能楽に於て同様の精神を見る、更に又た木偶劇に於て一層顕著なる精神を見る、而して是等は寔《まこと》に我が普通劇の父たり母たるものにてあれば、吾人は此の精神の甚だ深く我が劇の中心に横はれるを知るに苦まず。更に一転して所謂俗謡なるものを験するに、諸門、諸流、一として此の精神に伴はざるはなし。
劇詩若し劇界の外に於て充分の読者を占有する事を得ば、或は不可なからむ、然れども若し塲に上せられんとするに於ては、必らず幾多の不都合を生じて、之が為に折角の辛労を水泡に帰するが如き事、間々あるべし。然らば未来の劇詩家たらんものは、必らず先づ劇界内部の事情に通暁《つうげう》する後に、其作を始むべきか。此は到底、大詩人を呼起すべき道にあらず。斯の如き制限は寧ろ大詩人を化して、小詩人となすべきのみ。若し又劇外の詩人と劇内の詩人(従来の作者の如きもの)と職を異にして、劇外の詩人は専ら創作に従事し、劇内の詩人は之を舞台に適用するとせば、勢ひ相互の間に撞着《どうちやく》を免かれざるべし。吾人は竟《つひ》に我劇の整合の弊を、如何ともするなきを知る。我邦劇の前途、豈《あ》に多難ならずや。
[#地から2字上げ](明治二十六年十二月)
底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「文學界 十二號」文學界雜誌社
1893(明治26)年12月30日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2007年11月27日作成
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