領は、実に存して爰にありとも言ふべき程なれば、従《したがつ》て劇詩界の革命を煽動する者も亦、彼ならざるを得ず。彼は独り批評家として之を論ずるのみならず、記実家として劇の内外に関する事実を報道すること、甚だ力《つと》めたりと言ふべし。「読売」の高田半峰氏発起して歴史脚本を募れるは、「早稲田」の史劇論に続て、劇詩界の高潮を報ずる者なれ。爰に於て彼方此方、新劇詩家の手綱を控へて、宇治川を目懸《めがけ》る者ありとの報知|頻《しき》りなり。吾人は劇詩の流行当に来るべしとは断ずる能はず。然《さ》れど機運既に爰に到れり、少くとも明年は、幾種の脚本の何方よりか現出するは疑ひなからん。特に逍遙氏の如きは、シヱーキスピア流の客観性詩人よりもギヨオテが代表する一派の主観性の詩人を学ぶべしなど、後進を誘掖《いうえき》するに到りては、今の独逸《ドイツ》文学に酔へる青年幻想家、いかでか一鞭を揮《ふる》ふて、馬を原頭に立るの勇気無らん。
 然れども劇詩の前途果して如何なるべき、吾人は猶《な》ほ五里霧中にあるの心地す。何事にかけても如才のなき美妙氏は、来春|出梓《しゆつし》すべきものは未だ之を言ふに由なけれど、其|前
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