寂しき路を通ひがたしと言ふ。幸にも、この時角燈の光微かにかなたに見えければ、声を挙げて巡行の査官を呼び、茲《こゝ》に始めて蘇生の思ひを為せり。
始は査官|言《こと》を尽して説き諭《さと》しけれど、一向に聞入れねば、止むことを得ずして、他の査官を傭《やと》ひ来りつ、遂に警察署へ送り入れぬ。
彼女は是より精神病院に送られしが、数月の後に、病全く愈《い》えて、その夫《つま》の家に帰りけれど、夫妻とも、元の家には住まず、いづれへか移りて、噂のみはこのあたりにのこりけるとぞ。以上は我が自から聞きしところなり。但し聞きたるは、この夏の事、筆にものして世の人の同情を請はんと思ひたちしは、今日《けふ》土曜日の夜《よる》、秋雨紅葉を染むるの時なり。
殺さんと思ひたちしは偶然の狂乱よりなりし、されども、斯《かく》の如き悲劇の、斯《か》くの如き徒爾《とじ》の狂乱より成りし事を思へば、まがつびの魔力いかに迅《じん》且大ならずや。親として子を殺し、子として親を殺す、大逆不道此の上もあらず、然《しか》るに斯般《しはん》の悪逆の往々にして世間に行はるゝを見ては、誰か悽惻《せいそく》として人間の運命のはかなきを思はざらむ。狂女心底より狂ならず、醒《さ》め来りて一夜|悲悼《ひたう》に堪《た》へず、児の血を濺《そゝ》ぎしところに行きて己れを殺さんとす、己れを殺す為に、その悲しき塲所に独り行くことを得ず、却《かへ》つて路傍の人を連れ立てんことを請ふ、狂にして狂ならず、狂ならずして猶ほ狂なり、あわれや子を思ふ親の情の、狂乱の中に隠在すればなるらむ。その狂乱の原《もと》はいかに。渠《かれ》が出でがけに曰ひし一言、深く社会の罪を刻めり。
昨夜は淵明が食を乞ふの詩を読みて、其清節の高きに服し、今夜は惨憺《さんたん》たる実聞をものして、思はず袖を湿《ぬ》らしけり。知らぬうちとて、黙思逍遙の好地と思ひしところ、この物語を聞きてよりは、自《おのづ》からに足をそのあたりに向けずなりにき。かの地に住みし時この文を作らず、却つて今の菴《いほり》にうつりて之を書くは、わが悲悼の念のかしこにては余りに強かりければなり。思へば世には不思議なるほどに酸鼻《さんび》のこともあるものかな。
[#地から2字上げ](明治二十五年十一月)
底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
1969(昭和44)
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