尊さは余人の能《よ》く知るところにあらず。或日の事とて妻は娘を家に残しつ、小児を携へて出で行きしが、米買ふ銭を算《かぞ》へつゝ、ふと其口を洩れたる言葉は「もしこの小児なかりせば、日々に二銭を省くことを得べきに」なりし。之を聞きたる小娘《むすめ》は左までに怪しみもせざりし。その容貌にも殊更に思はるゝところはあらざりしとなむ。
 このあたりの名寺なる東禅寺は境広く、樹古く、陰欝として深山《しんざん》に入るの思《おもひ》あらしむ。この境内に一条の山径《やまみち》あり、高輪《たかなわ》より二本榎に通ず、近きを択《えら》むもの、こゝを往還することゝなれり。累々《るゐ/\》たる墳墓の地、苔滑らかに草深し、もゝちの人の魂魄《こんぱく》無明の夢に入るところ。わがかしこに棲《す》みし時には、朝夕杖を携へて幽思を養ひしところ。又た無邪気の友と共に山いちごの実を拾ひて楽みしところなり。
 家を出でゝ程久しきに、母も弟も還ること遅し、鴉は杜《もり》に急げども、帰らぬ人の影は破れし簷《のき》の夕陽《ゆふひ》の照光《ひかり》にうつらず。幾度《いくたび》か立出でゝ、出で行きし方を眺むれど、沈み勝なる母の面《おもぶせ》は更なり、此頃とんぼ追ひの仲間に入りて楽しく遊びはじめたる弟の形も見えず。日は全く暮れぬれども未だ帰らず。案じわびて待つうちに、雨戸の外に人の音しければ急ぎ戸を開くに、母ひとり忙然として立てり。その様子怪しげに見えはせしものゝ、いかに悲しき事のありけんとは思ひもよらず。弟は、と問へば、しばし黙然たりしが、何かは知らず太息《ためいき》と共に、あれは殺して来たよ、と答へぬ。
 始めは戯れならむと思ひしが、その容貌《ようばう》の青ざめたるさへあるに、夜の事とて共に帰らぬ弟の身の不思議さに、何処にてと問ひければ、東禅寺|裡《うら》にて、と答ふ。驚ろき呆れて、半ば疑ひながらも、母の言ひたるところに、走り行きて見れば、こはいかに、無残や一人の弟は倒《さかさ》まに、墓の門なる石桶にうち沈められてあり。其傍になまぐさき血の迸《ほとばし》りかゝれる痕を見《みた》りと言へば、水にて殺せしにあらで、石に撃つけてのちに水に入《いれ》たりと覚《おぼえ》たり。気も絶え入《いら》んほどに愕《おどろ》き惑ひしが、走り還りて泣き叫びつゝ、近隣の人を呼《よび》ければ、漸く其筋の人も来りて死躰の始末は終りしが、殺せし人の
前へ 次へ
全5ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング