るを悲しむなり。夫れ小善小仁は、古へのパリサイ人|能《よ》く之を為せり、彼等は教会にて威厳を粧ひ、崇敬をあらはし、小悪小非行を慎しむ事、今の俗信仰にまさり、小善小仁を行ふ事、今の所謂基督教信者なるものに幾等《いくとう》か加ふるところありし、然るも基督は之を排して、蝮《まむし》の裔《すゑ》とまで罵《のゝし》りぬ。
宗教の本意、豈《あ》に狭穿《けふせん》なる行為の抑制にあらんや。われは、教会の義財箱にちやら/\と響きさして、振り向きて傲《ほこ》り顔《がほ》ある偽善家を悪《にく》むと共に、行為の抑制を重んじて心の広大なる世界を知らざるものをあはれむ事限りなし。何事ぞ、人間を遇するに鞭を用ひて、其行住坐動を制せんとするが如きは。宗教豈斯の如きものならんや。
心に宮あり、宮の奥に他の秘宮あり、その第一の宮には人の来り観る事を許せども、その秘宮には各人之に鑰《かぎ》して容易に人を近《ちかづ》かしめず、その第一の宮に於て人は其処世の道を講じ、其希望、其生命の表白をなせど、第二の秘宮は常に沈冥にして無言、蓋世《がいせい》の大詩人をも之に突入するを得せしめず。
今の世の真理を追求し、徳を修するもの
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