を開かず、心あるも心なきに同じ。己れ寒村僻地より来り、国家の大に愛すべきを知らずして、叨《みだ》りに自利自営を教へ、己れ無学無識を以て自ら甘んじながら、人に勧誘するところ「学問」を退ぞけ、聖経のみを奉ぜよと謂ひて、以て我が学問界以外の小人に結ばんとし、己れ文学美術の趣味、哲学の高致を解せざるが故に、愚物を騙罔《へんまう》して文学を遠《とほざ》くべしと謂ふ、斯くして一国の愛国心をも一国の思想をも一国の元気をも一国の高妙なる趣味をも尽《こと/″\》く苅尽《かいじん》して、以て福音を布《し》かんとす、何すれぞ田園の沃質を洗滌し尽して、然る後に菓木を種《う》ゆるに異ならんや。心の奥の秘宮の門を鎖《とざ》して、軽浮なる第一宮の修道を以て世を救はんとするの弊や、知るべきなり。
 道に入るは極めて至難とするところなり。道に入るは他の生命に入るものなるを記憶せざるべからず、道に入るはレゼネレイシヨンの発端なるを記憶せざるべからず。然るに今の世の所謂基督教会なるものを見るに、朝《あした》に入りたるもの夕《ゆふべ》に出で、出没常なく、去就定まりなし、その入るや入るべからざるに入り、其出づるや出づべからざる
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