、なほ知り得べからざる不可覚界のひろさは、幾百万|里程《りてい》なるべきか。真理は実に多側なり。神の面《おもて》は一《ひとつ》なれど、之を見るものゝ眼によりていかやうにも見ゆるものなるべけれ。深山に分け入りて蹈み迷ふは不案内の旅客なり、然れども其出で来る時には、必らず深山の一部分を識得して之を人にも語り、自らも悟るなり、真理を尋究する思想家の為すところ、亦た斯《かく》の如くなるべけん。
 深山に蹈入る旅客なかるべからざるが如くに、真理に蹈迷ふ思想家もなかるべからず。人間は暗黒を好む動物にはあらざるなり、常久不滅の霊は其故郷を思慕して、或時に於て之に到着せん事を必するものにてあればこそ、今日に到るまで或は迷信に陥り、或は光明界に出で、宗教の形《かた》、哲学の式、千態万様の変遷を経たるなり。人性に具備せる恋愛の如き、同情の如き、慈憐の如き、別して涙の如きもの、深く其至粋を窮《きは》めたるものをして造化の妙微に驚歎せしめざるはなし。蛮野《ばんや》より文化に進みたるは左までの事にあらず、この至妙なる霊能霊神を以て遂には獣性を離れて、高尚なる真善美の理想境に進み入ること、豈《あに》望みなしとせんや。
 欧洲の理想界に形而上派の興《おこ》りてより、漸くにして古代の崇高なるプラトニックの理想的精神を復活せしめ、爾来《じらい》欧洲の宗教界、詩文界に生気の活動し来りたるを見る。律法儀式にのみ拘泥《こうでい》したる羅馬《ローマ》教の胎内よりプロテスタニズム生れ出で、プロテスタニズムよりピユリタニズム生じ、ピユリタニズムによりて、長く人心を苦しめたる君主専制の陋弊《ろうへい》を破りたる自由の思想の威霊あるものを奮興したり。或は一転して旧来の迷夢を攪破したるボルテイアとなり、バイロンとなり、ゴヱテとなり、カアライルとなり、自由神学派となり、唯心的傾向となりて、今日に至るまでの思想界の変遷はおもしろきこと限りなし。
 然れども凡《すべ》て是等の変遷を貫ぬける一条の絃の存するあるは、識者の普《あま》ねく認むるところなり。之を何とか為す、曰く、皮想的信仰破れて、心を以て基礎とする思想及び信仰の漸く地平線上に立ち上りて、曙光|炳灼《へいしやく》たるものある事是れなり。凡ての批評眼を抉《くじ》り去りて後に聖経《せいけい》を解《と》かむとするは、むかし羅馬教の積弊たりしものを受けて今日の浅薄なる聖経の
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