する時、猛虎の躍り噬《か》まんとする時、巨※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]《きよがく》の来り呑まんとする時、泰然として神色自若たるを得るは、即ちこの境にあるの人なり。生死の界を出で、悟迷の外に出でたるの無畏懼《むゐく》は、即ちこの境にある人の味ひ得るところなり。
むかしはヨブ凡ての所有を失ひ、凡ての親縁|眷属《けんぞく》を失ひ、凡ての権威地位を失ひ、加ふるに身は悪瘡の苦痛に堪えがたく、身命旦夕に迫れり。然れども彼は神を恨まず、己れを捨てず、友は来りて嘲《あざけ》れども意に介せず、敵は来りて悩ませども自ら驚かず、心を照《あき》らかにして神意を味はへり。彼は是れ、其秘宮の内に於て天地の精気に通じたるもの、平和の極意を得たるもの。尤も富み、尤も栄えたる人の夢にだも感得する事能はざる極甚の平和を、この尤もあはれに尤も悲しむべき破運の王(説者ヨブを某国の王なりと信ぜり)が味ひ得たりし事を看《みれ》ば、天国の極意の至妙至真たる事を知るに難からじ。
人|須《すべか》らく心の奥の秘宮を重んずべし、之を照らかにすべし、之を直うすべし、之を白からしむべし、之を公けならしむべし。大罪大悪の消ゆるは此奥にあり、大仁大善の発するは此奥にあり、秘事秘密の天に通ずるは此奥にあり、沈黙無言の大雄弁も此奥にあり、然り、永遠の生命の存するもこの奥にあり、かの説明し得べからずと言はれたる人生の一端の、説明せらるゝもこの奥にこそ。この奥にこそ人生の最大至重のものあるなれ。
[#地から2字上げ](明治二十五年九月)
底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「平和 六號」平和社(日本平和會)
1892(明治25)年9月15日
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月6日作成
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