する運命を同うするなり。「腐朽」わが右にあり、「死淵」わが左にあり、剣を揮《ふる》ふもの誰ぞ、筆を弄《ろう》するもの誰ぞ、天を談ずるもの誰ぞ、地を説くもの誰ぞ、何《いづ》れに進歩あらむ、何れに退歩あらむ。然れども、読者よ請ふ汝の謹厳なる眼を開けよ、宇宙の大精神は一定の塲所に安住せず。造化は終古依然たり、然れども、読者よ請ふ汝の霊活なる心を醒《さま》せよ、造化は其中心に於て、宇宙は其中心に於て、必らず何程かの動あるなり。造化彼れ何物ぞ、宇宙の一表現に過ぎざるなり。宇宙既に動あり、造化|豈《あに》動なからんや。地球の表面は終始依然たり、然れども其の形状は常に変はりつゝあるなり、要は千年の眼を以て、天文台の観測をなすにあり。これ其の外形に就きて言ふのみ、宇宙果して「死物」なるか、将《は》た、又「生躰」なるか、吾人が地球と名《なづ》くる此の一惑星の中に於て此の変動あり、「死躰」にもせよ「生躰」にもせよ、既にこの変動あるなり、何ぞ知らん、人間と称する此二足動物の上に、激雷の驟《には》かに震ふが如く、諸天群がり落ちて、火焔|忽《たちま》ち起りて、一指を投ずるの暇に於て、この終古依然たる天地は、黙示録の約翰《ヨハネ》が「われ新らしき天と新らしき地を見たり、先《さき》の天と先の地は既に過たり、海も亦たあることなし」と言ひたる言葉の、空の空にあらざることを実証するの時あらんを。
「信仰個条」彼れ何物ぞ、「繩墨《じようぼく》」彼れ何物ぞ、否な彼等も亦た宇宙の精神の大進歩の道程に於て、何等かの必要に需求せられて出でたるものなり、彼等も彼の唯心論の如く、彼の唯物論の如く、彼の凡神論の如く、相当の敬礼を要求するの権利あるものなり、然れども彼等を崇拝し、彼等を保持し、彼等を以て唯一の標準とせんとするは何物ぞ。聖書を把《と》つて、屑籠の中より古布と古紙とを分つが如く、或は彼を取り、或は此を取り、而して我が取る所の者は、宇宙の大真理に適《かな》へりと妄信し、他の取る所の者は一理の存するなきが如くに誣《し》ゆるもの誰ぞ。咄、思想界に於ける病毒の本源は存して爰にあるなり。己れの取る所を奉信するは善し、己れの取る所を以て、他の取る所を妄排す、是を思想界の藪医術と言はずして何ぞや。夫れ藪医術とは外科の医術を言ふなり、而して其の外科たるは、人間の病原を探りて後に其治術を講究するにあらずして、外部に表はれたる病象の一部分を見て、直に膏薬を塗するに留まるなり。咄、藪医術はいかほどに進歩するとも、人世に於て何の功益するところあらんや。信仰個条彼れ自身は、藪医術にあらず、繩墨彼自身は藪医術にあらず、唯心論も亦た然り、唯物論も亦た然り、然れども個の信仰個条を擁し、個の繩墨を擁し、個の善悪論を擁し、個の唯心論を擁し、個の唯物論を擁し、之を以て宇宙を法規する唯一の真理と迷信する輩の手に於て、藪医術の本源は存するなり。
[#地から2字上げ](明治二十六年五月)



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「文學界 五號」文學界雜誌社
   1893(明治26)年5月31日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2005年3月30日作成
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