ど、我はこれに怖るゝ心を失ひたり、夏の熱さにも我は我が膓《はらわた》を沸かす如きことは無くなれり、唯だ我九膓を裂きて又《ま》た裂くものは、我が恋なり、恋ゆゑに悩《もだ》ゆるにあらず、牢獄の為に悶ゆるなり、我は籠中にあるを苦しむよりも、我が半魂の行衛《ゆくゑ》の為に血涙を絞るなり。雷音洞主の風流は愛恋を以て牢獄を造り、己れ是に入りて然る後に是を出でたり、然れども我が不風流は、牢獄の中《うち》に捕繋せられて、然る後に恋愛の為に苦しむ、我が牢獄は我を殺す為に設けられたり、我も亦《ま》た我牢獄にありて死することを憂ひとはせざれども、我をして死す能はざらしむるもの、則ち恋愛なり、而して彼は我を生かしむることをもせず、空しく我をして彼のデンマルクの狂公子の如く、我母が我を生まざりしならばと打ち喞《かこ》たしむるのみ。
 春や来《こ》しと覚ゆるなるに、我牢室を距《さ》ること数歩の地に、黄鳥の来鳴くことありて、我耳を奪ひ、我魂を奪ひ、我をしてしばらく故郷に帰り、恋人の家に到る思ひあらしむ、その声を我が恋人の声と思ふて聴く時に、恋人の姿は我前にあり、一笑して我を悩殺する昔日《せきじつ》の色香は見えず、愁涙の蒼頬《さうけふ》に流れて、紅《くれな》ゐ闌干《らんかん》たるを見るのみ。
 軒端《けんたん》数分の間隙よりくゞり入るは、世の人の嫦娥《じやうが》とかあだなすなる天女なれども、我が意中人の音信を伝へ入るゝことをなさねば、我は振りかへり見ることもせず。いづこの庭にうゑたる花にやあらむ、折にふれては妙なるかをりを風がもて来ることもあれど、我が恋ふ人の魂《たま》をこゝに呼び出すべき香《かをり》にてもなければ、要もなし、気まぐれものゝ蝙蝠《かうもり》風勢《ふぜい》が我が寂寥《せきれう》の調を破らんとてもぐり入ることもあれど、捉へんには竿なし、好《よ》し捉ふるとも、我が自由は彼の自由を奪ふことによりて回復すべきにあらず、況《ま》して我恋人の姿を、この見苦しき半獣半鳥よりうつし出づることの、望むべからざるをや。
 是の如きもの我牢獄なり、是の如きもの我恋愛なり、世は我に対して害を加へず、我も世に対して害を加へざるに、我は斯く籠囚の身となれり。我は今無言なり、膝を折りて柱に憑《もた》れ、歯を咬《か》み、眼を瞑《めい》しつゝあり。知覚我を離れんとす、死の刺《はり》は我が後《うしろ》に来りて機《をり》を覗《うかゞ》へり。「死」は近づけり、然れどもこの時の死は、生よりもたのしきなり。我が生ける間の「明」よりも、今ま死する際《きは》の「薄闇《うすやみ》」は我に取りてありがたし。暗黒! 暗黒! 我が行くところは関《あづか》り知らず。死も亦た眠りの一種なるかも、「眠り」ならば夢の一つも見ざる眠りにてあれよ。をさらばなり、をさらばなり。

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 透谷庵主、透谷橋外の市寓に倦《う》みて、近頃|高輪《たかなわ》の閑地に新庵を結べり。樹|幽《かすか》に水清く、尤《もつと》も浄念を養ふに便あり。適《たまた》ま「女学雑誌」の拡張に際して、主筆氏の許すところとなりて、旧作を訂し紙上に載せんとす。こは其第一なり、もしそれ全篇の佶屈※[#「敖/耳」、第4水準2−85−13]牙《きつくつがうが》にして、意義も亦た諒し難きところ多きに至りては、余の文藻に乏しきの罪として、深く責め玉はざらんことを願ふ。たゞ篇中の思想の頑癖に至りては、或は今日の余の思想とは異るところなり、友人諸君の幸にして余が為に甚《いた》く憂ひ玉はざらんことを。
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[#地から2字上げ](著者附記)
[#地から2字上げ](明治二十六年六月)



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「女學雜誌 三二〇號」女學雜誌社
   1892(明治25)年6月4日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2005年5月18日作成
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