は悉《こと/″\》く悩死せざるなれ、此恋愛あればこそ、実世界に乗入る慾望を惹起するなれ。コレリツヂが「ロメオ・ヱンド・ジユリヱツト」を評する中《うち》に、ロメオの恋愛を以て彼自身の意匠を恋愛せし者となし、第一の愛婦なる「ロザリン」は自身の意匠の仮物なりと論ぜるは、蓋し多くの、愛情を獣慾視して実性を見究めざる作家を誡しむるに足る可し。
 恋愛は剛愎なるバイロンを泣かせしと言ふ微妙なる音楽の境を越えて広がれり。恋愛は細微なる美術家と称《たゝ》へられたるギヨオテが企る事能はざる純潔なる宝玉なり。彼《か》の雄邁にして※[#「車+(而/大)」、第3水準1−92−46]優《せんいう》を兼ねたるダンテをして高天卑土に絶叫せしめたるも、其最大誘因は恋愛なり。彼の痛烈悲酸なる生涯を終りたるスウイフトも恋愛に数度の敗れを取りたればこそ、彼の如くにはなりけれ。嗚呼《あゝ》恋愛よ、汝は斯くも権勢ある者ながら、爾の哺養し、爾の切に需《もと》めらるゝ詩家の為に虐遇する所となる事多きは、如何に慨歎すべき事ならずや。
 女性を冷罵する事、東西厭世家の平《つね》なり。釈氏も力を籠めて女人を罵り、沙翁も往々女人に関して慊《あきた》らぬ語気を吐けり。我《わが》露伴子の「一口剣《いつこうけん》」を草するや、巧に阿蘭《おらん》を作りて作家の哲学思想を発揮し、更に「風流悟《ふうりうご》」に於て其解脱を説きたる所、余の尤も服する所なり。蓋し女性は感情的の動物なり、詩家も亦た男性中の女性と言ふ可き程に感情に富める者なり。深夜火器を弄《ろう》して閨中の人を愕《おどろ》かせしバイロン、必らずしも狂人たりしにあらざる可し、蓋し女性は或意味に於て甚《はなは》だ偏狭頑迷なる者なり、而《しか》して詩家も亦た、或点より観れば之に似たる所あるを免れず。蓋し女性は優美繊細なる者なり、而して詩家も亦た其思想に於ては優美繊細を常とする者なり、豪逸雄壮なる詩句を迸出する時に於ても、詩家は優美を旨とするものなるを以て、自《おのづか》ら女性に似たるところあるを免れず。其他生理学上に於て詳《つまびらか》に詩家の性情を検察すれば、神経質なるところ、執着なるところ等、類同の個条蓋し数ふるに遑《いとま》あらざる可し。是等の類同なる諸点あるが故に、同性相|忌《い》むところよりして、詩家は遂に綢繆《ちうびう》を全うする事能はざる者なるか。夫れ或は然らむ、然れども余は別に説あり、請ふ識者に問はむ。
 合歓綢繆を全うせざるもの詩家の常ながら、特に厭世詩家に多きを見て思ふ所あり。抑《そもそ》も人間の生涯に思想なる者の発萌《はつばう》し来るより、善美を希《ねが》ふて醜悪を忌むは自然の理なり、而して世に熟せず、世の奥に貫かぬ心には、人世の不調子不都合を見初《みそ》むる時に、初理想の甚だ齟齬《そご》せるを感じ、実世界の風物何となく人をして惨惻《さんそく》たらしむ。智識と経験とが相敵視し、妄想と実想とが相争戦する少年の頃に、浮世を怪訝《くわいが》し、厭嫌《えんけん》するの情起り易きは至当の理なりと言ふ可し。人|生《うまれ》ながらにして義務を知るものならず、人生れながらに徳義を知るものならず、義務も徳義も双対的の者にして、社界を透視したる後、「己れ」を明見したるの後に始めて知り得可き者にして、義務徳義を弁ぜざる純樸なる少年の思想が、始めて複雑解し難き社界の秘奥に接する時に、誰れか能《よ》く厭世思想を胎生せざるを得んや。誠信は以て厭世思想にかつ事を得べし、然れども誠信なる者は真《まこと》に難事にして、ポーロの如き大聖すら、嗚呼われ罪人《つみびと》なるかなと嘆じたる事ある程なれば、厭世の真相を知りたる人にしてこれに勝つほどの誠信あらん人は、凡俗ならざる可し。ポープの楽天主義の如きは蓋し所謂解脱したる楽天にして、其|曾《か》つて唱ひし詞句に「凡《すべ》ての自然は妙術なれば汝の能く解する所ならじ、凡ての偶事は指呼に従ふものにして汝の関する所ならじ、凡ての不和は遂に調和なる事も汝が会《くわい》し得る所ならじ、一部に悪と思はるゝ所のものは全部に善、傲慢《がうまん》に訊《と》ふ勿《なか》れ、誤理《ごり》に惑はさるゝ勿れ、凡《およ》そ一真理の透明なるあらば其の如何なる者なるを問はず、必らず善なるを疑ふ勿れ。」と云ふ一節あり。蓋し斯の如きは人生の圧威を自力を以て排斥したりと思惟する者にして、抑も経験の結果なり。凡そ経験なきの思想には斯の如き解脱、思ひも寄らぬ事なり。
 偖《さ》て誠信の以て厭世に勝つところなく、経験の以て厭世を破るところなき純一なる理想を有《も》てる少壮者流の眼中には、実世界の現象|悉《こと/″\》く仮偽なるが如くに見ゆ可きか、曰く否、中に一物の仮偽ならず見ゆる者あり、誠実忠信「死」も奪ふ可らずと見ゆる者あり、何ぞや、曰く恋愛なり
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