、後に比較的の失望を招かしめ、惨として夫婦相対するが如き事起るなり。
女性は感情の動物なれば、愛するよりも、愛せらるゝが故に愛すること多きなり。愛を仕向けるよりも愛に酬ゆるこそ、其の正当の地位なれ。葛蘿《かつら》となりて幹に纏ひ※[#「夕/寅」、第4水準2−5−29]《まつ》はるが如く男性に倚るものなり、男性の一挙一動を以て喜憂となす者なり、男性の愛情の為に左右せらるゝ者なり。然るに不幸にして男性の素振に己れを嫌忌するの状《さま》あるを見ば、嫉妬も萌《きざ》すなり、廻り気も起るなり、恨み苦《にが》みも生ずるなり、男性の自《みづか》ら繰戻すにあらざれば、真誠の愛情或は外《そ》れて意外の事あるに至る可し。而して既に社界を厭へるもの、破壊的思想に充ちたるもの、世俗の義務及び徳義に重きを置かざるもの、即ち彼の厭世詩家に至りては、果して能く女性に対する調和を全うし得可きや。
夫れ詩人は頑物なり、世路を濶歩することを好まずして、我が自ら造れる天地の中に逍遙する者なり。厭世主義を奉ずる者に至りては、其造れる天地の実世界と懸絶すること甚だ遠しと云ふ可く、婚姻によりて実世界に擒《きん》せられたるが為にわが理想の小天地は益《ます/\》狭窄なるが如きを覚えて、最初には理想の牙城として恋愛したる者が、後には忌はしき愛縛となりて我身を制抑するが如く感ずるなり。此に至つて釈氏をして惑哉肉眼吾今観之、従頭至足無一好也と罵り、又た、其内甚臭穢、外為厳飾容、加又含毒蟄劇如蛇与竜と叫び、更に又た、婦人非常友、如燈焔不停、彼則是常怨猶如画石文云々等の語を発せしめ、東洋の厭世教をして長く女性を冷遇するの積弊を起さしめたり。
婚姻と死とは、僅《わづか》に邦語を談ずるを得るの稚児より墳墓に近づく迄、人間の常に口にする所なりとは、ヱマルソンの至言なり。読本を懐にして校堂に上《のぼ》るの小児が、他の少女に対して互に面を赧《あか》うすることも、仮名を便りに草紙読む幼な心に既に恋愛の何物なるかを想像することも、皆な是《これ》人生の順序にして、正当に恋愛するは正当に世を辞し去ると同一の大法なる可けれ。恋愛によりて人は理想の聚合を得、婚姻によりて想界より実界に擒せられ、死によりて実界と物質界とを脱離す。抑《そ》も恋愛の始めは自《みづか》らの意匠を愛する者にして、対手なる女性は仮物《かりもの》なれば、好しや其愛情益発達するとも遂には狂愛より静愛に移るの時期ある可し、此静愛なる者は厭世詩家に取りて一の重荷なるが如くになりて、合歓の情或は中折するに至《いたる》は、豈惜む可きあまりならずや。バイロンが英国を去る時の咏歌の中《うち》に、「誰れか情婦又は正妻のかこちごとや空涙《そらなみだ》を真事《まこと》とし受くる愚を学ばむ」と言出《いひだし》けむも、実に厭世家の心事を暴露せるものなる可し。同作家の「婦人に寄語す」と題する一篇を読まば、英国の如き両性の間柄厳格なる国に於てすら、斯の如き放言を吐きし詩家の胸奥を覗《うかゞ》ふに足る可けむ。
嗚呼不幸なるは女性かな、厭世詩家の前に優美高妙を代表すると同時に、醜穢なる俗界の通弁となりて其嘲罵する所となり、其冷遇する所となり、終生涙を飲んで、寝ねての夢、覚めての夢に、郎を思ひ郎を恨んで、遂に其愁殺するところとなるぞうたてけれ、うたてけれ。「恋人の破綻《はたん》して相別れたるは、双方に永久の冬夜を賦与したるが如し」とバイロンは自白せり。
[#地から2字上げ](明治二十五年二月)
底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「女學雜誌 三〇三號、三〇五號」女學雜誌社
1892(明治25)年2月6日、20日
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月6日作成
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