達するとも遂には狂愛より静愛に移るの時期ある可し、此静愛なる者は厭世詩家に取りて一の重荷なるが如くになりて、合歓の情或は中折するに至《いたる》は、豈惜む可きあまりならずや。バイロンが英国を去る時の咏歌の中《うち》に、「誰れか情婦又は正妻のかこちごとや空涙《そらなみだ》を真事《まこと》とし受くる愚を学ばむ」と言出《いひだし》けむも、実に厭世家の心事を暴露せるものなる可し。同作家の「婦人に寄語す」と題する一篇を読まば、英国の如き両性の間柄厳格なる国に於てすら、斯の如き放言を吐きし詩家の胸奥を覗《うかゞ》ふに足る可けむ。
嗚呼不幸なるは女性かな、厭世詩家の前に優美高妙を代表すると同時に、醜穢なる俗界の通弁となりて其嘲罵する所となり、其冷遇する所となり、終生涙を飲んで、寝ねての夢、覚めての夢に、郎を思ひ郎を恨んで、遂に其愁殺するところとなるぞうたてけれ、うたてけれ。「恋人の破綻《はたん》して相別れたるは、双方に永久の冬夜を賦与したるが如し」とバイロンは自白せり。
[#地から2字上げ](明治二十五年二月)
底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「女學雜誌 三〇三號、三〇五號」女學雜誌社
1892(明治25)年2月6日、20日
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月6日作成
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