−58]焉《ばくえん》たる大空の百千の提燈を掲げ出せるあるのみ。
其二
われは歩して水際に下れり。浪白ろく万古の響を伝へ、水蒼々として永遠の色を宿せり。手を拱《こま》ねきて蒼穹を察すれば、我れ「我」を遺《わす》れて、飄然《へうぜん》として、襤褸《らんる》の如き「時」を脱するに似たり。
茫々乎たる空際は歴史の醇《じゆん》の醇なるもの、ホーマーありし時、プレトーありし時、彼の北斗は今と同じき光芒を放てり。同じく彼を燭《て》らせり、同じく彼れを発《ひ》らけり。然り、人間の歴史は多くの夢想家を載せたりと雖《いへども》、天涯の歴史は太初より今日に至るまで、大なる現実として残れり。人間は之を幽奥《ミステリー》として畏《おそ》るゝと雖、大なる現実は始めより終りまで現実として残れり。人間は或は現実を唱へ、或は夢想を称《とな》へて、之を以て調和す可からざる原素の如く諍《あらそ》へる間に、天地の幽奥は依然として大なる現実として残れり。
其三
われは自《みづ》から問ひ、自から答へて安らかなる心を以て蓬窓《ほうさう》に反《かへ》れり。わが視《み》たる群星は未だ念頭を去らず、静かに燈を剪《き》つて書を読まんとするに、我が心はなほ彼にあり。我が読まんとする書は彼にあり。漠々たる大空は思想の広《ひ》ろき歴史の紙に似たり。彼処《かしこ》にホーマーあり、シヱークスピーアあり、彗星の天系を乱して行くはバイロン、ボルテーアの徒、流星の飛び且つ消ゆるは泛々《はん/\》たる文壇の小星、吁《あゝ》、悠々たる天地、限なく窮りなき天地、大なる歴史の一枚、是に対して暫らく茫然たり。
[#地から2字上げ](明治二十六年十一月)
底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「評論 十六號」女學雜誌社
1893(明治26)年11月4日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2007年11月27日作成
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