想を実行せん事を図り、大陸の大政治家も亦た頻《しき》りに此理想を唱道せり。
人は理想あるが故に貴《たふと》かるべし、もし実在の仮偽なる境遇に満足し了る事を得るものならば、吾人は人間の霊なる価直《かち》を知るに苦しむなり。理想なくては希望もあるまじ、希望なくては生命もあるまじ、唯だ理想あるのみにては何の善きを見ず、吾人は理想を抱くと共に、理想の終極まで貫き到らん事を望むべきなり。
日本には外交の憂患|尠《すくな》し、故に平和協会の必要を見ずと云ふ論者多し、これ将《は》た一種の攘夷論者にあらざらんや。日本は天照皇大神以来の神国なれば外寇《ぐわいこう》の懼《おそ》るべきものなし、故に平和主義の必要を見るなしと言ふは純然たる攘夷論者の言分なるが、これらの論者は強ひて咎《とが》むべきにあらず、前に言ひし一種の攘夷思想を抱けるものは、今日の新鮮なる生気を以て立てる宗教家、思想家の中に多きを見て、慨歎なき能はず。欧洲の思想家、宗教家は日本を以て、新思想|悖如《ぼつじよ》として欧洲に対峙《たいぢ》すべき覚悟あるものと見做《みな》しつ、遊説者を派して、平和協会に応援するところあらしめんとせり、而して吾人もし、我邦は世界の極端にあるが故に、世界の出来事と世界の運命には関《かゝは》り知るところあらずと言ひて、この高潔偉大なる事業に力を借すことなければ、彼等果して我を何とか言はむ。
直接に痛痒《つうやう》を感ぜざればとて、遠大なる事業を斥《しりぞ》くべきにあらず、況んや欧洲のみに戦争の毒気|盈《み》つるにあらずして、東洋も亦た早晩、修羅《しゆら》の巷《ちまた》と化して塵滅するの時なきにしもあらず、いかんぞ対岸の火を見て、手を袖にするが如きを得んや。
且つ夫れ、東洋と西洋といづれの業《わざ》にも相離反するを免かれざるは、思想あるものゝ太《いた》く憂ふるところなり、つひには東西の相共に立つ可からざるは源平二氏の両立すること能はざるが如くなりはてんは、うたてからずや。この時にあたりて、この平和協会の事業の如く、東西の思想家が心を一にし、力を協《あ》はせて、神聖なる道心を以て、相提携するを得るは、豈《あに》快なりと言はざる可けんや。われらは宗教を以て、講談の囈語《げいご》にて終るべきものとは思はず、正統非正統の論争、遂に黒白を分つの要あるを知らず、吾人の前に横《よこた》はれる実際問題の、斯
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