家に例すれば、県治の政事海にあるものは論争常に県治の中に跼蹐《きよくせき》し、之れを全国の政事海に徴すれば、奔馬常に狭少なる民吏の競塲に惴々《ずゐ/\》たるに過ぎざるなり。
 高言壮語を以て一世を籠絡《ろうらく》するを、男児の事業と心得るものは多し、静思黙考して人間の霊職を崇《たか》うせんと企つる者は、いづくにある。東西両大分割の未来の勝敗を算して、おもむろに邦家の為に熱血を灑《そゝ》ぐものいづくにある。杳遠《えうゑん》なる理想境を観念して、危淵に臨める群盲の衆生を憂※[#「口+金」、第3水準1−15−5]《いうぎん》する者、いづくにある。
 自然の趨勢《すうせい》は逆ふこと能はず、吾は彼の一種の攘夷論者と共に言を大にし語を壮にして、東洋の危機を隠蔽せんとするにあらず、もし詳《つまびら》かに吾が宗教、吾が政治、吾が思想、吾が学術を究察する時は、遺憾ながらも、吾は優勝劣敗の舞台に立つて遜色なき事能はず、未来に於て我《わが》豊葦原の民族の消長いかんは、今之を断ずることを得ざれども、此儘にして推し行かば、遂に自然の結局を奈何《いかん》ともすべきなからむか。
 つら/\思ふに、寂滅為楽の幽妙なる仏味と宗教的虚無思想が吾人の中に存して、吾人の生霊を支配せし事久し、貴族的思想の族長制度と印度教との父母より生れて、堅く其地歩を占め、以て平民的共和思想の発達を妨げ居たる事も既に久し、空漠たる大空を理想とする想像に富める哲学者は多けれど、最後の円満なる大理想境に思ひを馳《は》する者はあらず、何事も消極的に退縮して、人生の霊現なる実存を証《あかし》することなく、徒らに虚無|縹渺《へう/″\》の来世を頼む、斯の如くにして活気なき国民となり、萎縮しやすき民人となりて、今日の形勢には推し及びぬ。
 われらが尤も悲しく思ふは、一国の脊膸《せきずゐ》なる宗教の力の虚飾に流れ、儀式に落ち、活きたる実際的能力を消耗《せうかう》し去りたる事なり、耶教は近く入れり、故に深く責むべからずと雖、其入りたる後の有様を言へば、満足すべき結果には遠し、仏教は漸く其質を変じて哲学的趣味を専らにし、到底人間を仮偽の虚栄世界、貪慾世界、迷盲世界より救ひ出して、実在の荘厳なる円満境に引誘するの望みなし。而して一種の攘夷論者は此有様を以て上々なる社界の組織と認め、永遠にのぞみをかくべき邦家ぞと信ず。
 欧洲の文明国と関聯し
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