むく》ふべしと思ふ程ならば、酬はずして自《おのづ》から酬ゆるものを。必らず忘れじといふ恩ならば、忘るゝとも自から忘るまじきを。讐には手をもて酬ひんと思ふこと多く、恩には口をもて報ずること多し。敵と味方に於いて亦た斯の如し。一時の利の為めに味方となるものは、又た一時の害の為めに離るゝを易しとす。一時の害の為めに敵となるものは、又た一時の利の為めに味方となるを易しとす。西風には東に飛び、東風には西に揚《あ》がるは紙鳶《たこ》なり、人の心も大方は斯くの如し。風の西に吹くを能く見るものを達識者と呼び、風の東に転ずるを看破するものあれば、卓見家と称《と》なへんとす。勇者はその風に御して高く飛び、智者はその風を袋に蓄はへて後の用を為す。運よくして思ふこと図に当りなば傲然《がうぜん》として人を凌《しの》ぎ、運あしくして躬《み》蹙《きはま》りなば憂悶して天を恨む。凌がるゝ人は凌ぐ人よりも真に愚かなりや、恨まるゝ天は恨む人の心を測り得べきや。斯の如きは世なり。斯の如きは人間なり。深く心を人世に置くもの、安《いづ》くんぞ憂なきを得ん。安くんぞ悲なきを得ん。甘露を雨《ふ》らす法の道も、世を滋《うる》ほすこと
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