むく》ふべしと思ふ程ならば、酬はずして自《おのづ》から酬ゆるものを。必らず忘れじといふ恩ならば、忘るゝとも自から忘るまじきを。讐には手をもて酬ひんと思ふこと多く、恩には口をもて報ずること多し。敵と味方に於いて亦た斯の如し。一時の利の為めに味方となるものは、又た一時の害の為めに離るゝを易しとす。一時の害の為めに敵となるものは、又た一時の利の為めに味方となるを易しとす。西風には東に飛び、東風には西に揚《あ》がるは紙鳶《たこ》なり、人の心も大方は斯くの如し。風の西に吹くを能く見るものを達識者と呼び、風の東に転ずるを看破するものあれば、卓見家と称《と》なへんとす。勇者はその風に御して高く飛び、智者はその風を袋に蓄はへて後の用を為す。運よくして思ふこと図に当りなば傲然《がうぜん》として人を凌《しの》ぎ、運あしくして躬《み》蹙《きはま》りなば憂悶して天を恨む。凌がるゝ人は凌ぐ人よりも真に愚かなりや、恨まるゝ天は恨む人の心を測り得べきや。斯の如きは世なり。斯の如きは人間なり。深く心を人世に置くもの、安《いづ》くんぞ憂なきを得ん。安くんぞ悲なきを得ん。甘露を雨《ふ》らす法の道も、世を滋《うる》ほすこと遅く、仁義の教も人の心をいかにせむ。天地の間に我が心を寄するものを求めて得ざれば、我が心は涸れなむ。
 我はあからさまに我が心を曰ふ、物に感ずること深くして、悲に沈むこと常ならざるを。我は明然《あきらか》に我が情を曰ふ、美しきものに意を傾くること人に過ぎて多きを。然はあれども、わが美くしと思ふは人の美くしと思ふものにあらず、わが物に感ずるは世間の衆生が感ずる如きにあらず。物を通じて心に徹せざれば、自ら休むことを知らず。形を鑿《うが》ちて精に入らざれば、自ら甘んずること難し。人われを呼びて万有的趣味の賊となせど、われは既に万有造化の美に感ずるの時を失へり。多くの絵画は我を欺けり、名匠の手に成るものと雖、多く我を感ぜしむる能はず。絵画既に然り、この不思議なる造化も、然り、造化も唯だ自然に成りたる絵画のみ。われは世の俗韻俗調の詩人が徒らに天地の美を玩弄《ぐわんろう》するを悪《にく》むこと甚だし。然れども自ら顧みる時は、何が故に我のみは天地の美に動かさるゝことの少なきかを怪しまずんばあらず。動かさるゝこと少なきにあらず、多く動かされて多く自ら欺きたればなり。我は再び言ふ、われは美くしきものに意
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