「平和と戦争」と題するトルストイの著書の終局に載するところ、即ち是《これ》なり。其他の著書にも、此意を談ずるところ少なからず。即ち神の法《のり》に従ひて生活するものにあらざれば、自然なる、幸福なる生涯を終る事能はずと云へる真理は、伯の著書に散見して、伯が世を教《をしゆ》るの真意を窺《うかゞ》ふに足るべし。伯は言へらく、
「吾等は惟《たゞ》一の案内者を持てり――即《すなは》ち凡ての物に衆合的及び個物的に通徹して存せる宇宙大精気《ユニバーサルスピリツト》なり。草樹を日の光に頼《よ》りて発萌せしむるも、百花を熟《みの》らして菓実とならしめ、以て山野を富実《ふうじつ》ならしむるも、皆なこの精気の致すところなり、吾等人類を相《あひ》協和せしめ、相擁護せしむるもまた。」
 蓋《けだ》しトルストイ伯の所見は、此点に於て彼《かの》フレンド派が唱道するところと符合せり。唯だ伯は之を露国の農民に適用せしのみ。
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     戦争に対する伯の意見

 伯の著書「コサック」を読み、「イバン・ゼ・フール」を読みたらん人は必らず、伯が戦争に対する悪感情を認むるなるべし。「イバン」の中《うち》に其主人公なるイバンの口を仮りて言はしむるところを見るに、イバンは兵卒を以て無用なるものと認め、敵ありて来り犯すに及びては満面の愛笑と懇情とを以て出でゝ彼を迎へ、遂に彼をして帰服せしめたる有様を叙するが如き、伯が平和主義の本領を推知するに余りあり。其他の諸著を読みても、伯の精神は人間の霊魂を改造するを以て、大主眼となすにある事を知《しる》べし。

     伯の朴実

 ※[#「にんべん+淌のつくり」、第3水準1−14−30]《も》し伯が貴族の家に産《うま》れたる身を以て、自《みづか》ら降《くだ》りて平民の友となり、其一生を唯だ農民の為に尽すところあらんとするの精神を読み得なば、誰れか伯の資性の天真爛※[#「火+曼」、第4水準2−80−1]たるを疑ふものゝあるべき。ひとり伯の資性が然るのみにあらず、伯の抱持する基督教主義も実に朴実なる信仰に外ならず。外部厳粛なる教法は、彼に取りて何の関するところもあらず、彼は唯だ其胸奥に自然に湧き出でたる至愛を以て、自ら任じて平民の保護者となれるのみ。露西亜は世人の尤も危ぶむ国なり、而して今や此|
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