《みづか》らも共に倒れて、同じく硝煙の中に露と消ゆるの趣味を能く解せば、いざ語らむ、現社界とは言はず、幾千年の過去より幾千年の未来に亘る可き人間の大不調子、是《これ》なり。
この評を草する時、傍らに人あり、余に告げて曰く、駒之助と云ひ、貞之進と云ひ、余りに※[#「車+(而/大)」、第3水準1−92−46]弱《ぜんじやく》なる人物を主人公に取りしにはあらずやと。余笑つて曰く、是れ即ち緑雨が冷罵に長ずる所以《ゆゑん》なり、緑雨は写実家の如くに細心なれども、写実家の如くに自然を猟《あさ》ること能はず、彼は貞之進を鋳る時、既に八万の書生を罵らんことを思ひ、駒之助を作る時に、既に唐様を学得せる若旦那を痛罵せんとするのみにて、自然不自然は彼に取りて第二の問題なればなりと。
不自然は即ち不自然ながら、緑雨も亦た全く不哲学的なるにはあらず。駒之助の愛情とその物狂ひを写せるところ真に迫りて、露伴が悟り過《すぎ》たる恋愛よりも面白し。諷刺を離れ、冷罵を離れたるところ、斯般《しはん》の妙趣あり。戯曲的なる「犬蓼」、写実的なる「油地獄」、われはあつぱれ明治二十四年の出色文字と信ず。われは此書を評すとは言は
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