「油地獄」を読む
(〔斎藤〕緑雨著)
北村透谷

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)揮《ふる》ふ

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)其|帶《たい》を

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)とつ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 刑鞭を揮《ふる》ふ獄吏として、自著自評の抗難者として、義捐《ぎえん》小説の冷罵者として、正直正太夫の名を聞くこと久し。是等の冷罵抗難は正太夫を重からしめしや、将《は》た軽からしめしや、そは茲《こゝ》に言ふ可きところならず、余は「油地獄」と題する一種奇様の小説を得たるを喜び、世評既に定まれりと告ぐる者あるにも拘《かゝは》らず、敢て一言を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]まんとす。
「油地獄」は「小説評註」と、「犬蓼《いぬたで》」とを合はせ綴ぢて附録の如くす。「小説評註」は純然たる諷刺《サタイア》にして、当時の文豪を罵殺せんとする毒舌紙上に躍如たり。然《しか》れども其諷刺の原料として取る所の、重に文躰にありしを以《も》て見れば、善く罵りしのみにして、未だ敵を塵滅するの力あらざりしを知るに足らむ。
「油地獄」と「犬蓼」とは結構を異にして想膸一なり。駒之助と貞之進其地位を代へ、其境遇を代ふれば貞之進は駒之助たるを得可く、駒之助は貞之進たるを得べし。然り、駒、貞、両主人公は微かに相異なるを認るのみ、然れども此暗合を以て著者の想像を狭しと難ずるは大早計なり、何となれば著者の全心は、広く想像を構へ、複雑なる社界の諸現象を映写し出《い》でんとにはあらで、或一種の不調子《インコンシステンシー》、或一種の弱性《フレールチイ》を目懸けて一散に疾駆《しつく》したるなればなり。一種の不調子《インコンシステンシー》とは何ぞ。曰く、現社界が抱有する魔毒、是なり。一種の弱性とは何ぞ。過去現在未来を通ずる人間の恋愛に対する弱点なり。
 緑雨《りよくう》は巧に現社界の魔毒を写出《しやしゆつ》せり。世々良伯《せゝらはく》は少しく不自然
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