》の如くにして終るとせば、宗教の目的|何所《いづく》にかあらむ。強は弱の肉を啖《くら》ひ、弱は遂に滅びざるを得ざるの理《ことわり》、転々して長く人間界を制せば、人間の霊長なるところ何所にか求めむ。基督、仏陀、孔聖、誰れか人類の相闘ひ、相傷ふを禁ぜざる者あらむ。
且《か》つ夫れ兇器の横威、人倫を泯《みだ》し、天地を冥《くら》うする事久し。特《こと》に欧洲に於て然りとなす。甘妙なる宗教の光明も暗憺たる黒雲に蔽はれて、天魔幕上に哄笑するかとぞ思はる。今や往年の拿翁《ナポレオン》なしと雖《いへども》、武器の進歩日々に新《あらた》にして、他の拿翁指呼の中《うち》に作り得べし、以て全欧を猛炎に委《ゐ》する事、易々《いゝ》たり。是よりの戦争は人種の戦争尤も多かるべく、塵戦《ぢんせん》又た塵戦、都市を荒野に変ずるまでは止《や》まじと某政治家は言へり。吾人の、平和の君を世に紹介する、豈《あに》偶然ならんや。
今や「平和」なる一|孩子《がいし》、世に出づ。知悉《しりつく》す、前途茫々、行路|峭※[#「山+角」、72−上−23]《せうかく》たるを。大喝迷霧を排《はら》ふは吾人の願ふ所にあらず、一点の導火となりて世の識者を動かさん事こそ、吾人が切に自《みづか》ら任《たの》むところなれ。更に言ふ、吾人は宗教と併行し、道心と相|聯《つらな》り、以て吾人の希望を達せんと期す。戦争は政治家の罪にあらずして、人類の正心の曇れるに因《よ》つてなることを記憶せられよ。幸に江湖《よ》の識者来つて、吾人に教へよ、吾人をして通津《つうしん》を言ふの人たらしむる勿《なか》れ。吾人は漁郎《ぎよらう》を求めつゝあり、吾人をして空言《くうげん》の徒《とも》とならしむる勿れ。天下誰れか隣人を愛するを願はざる者あらむ。
[#地から2字上げ](明治二十五年三月)
底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「平和 一號」平和社(日本平和會)
1892(明治25)年3月15日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2005年1月27日作成
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