「平和」発行之辞
北村透谷

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)爾来《じらい》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)時機|稍《やうやく》到来し、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「山+角」、72−上−23]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)抑《そも/\》
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 過ぬる明治二十二年の秋、少数の有志相会して平和会なる者を組織せり。爾来《じらい》同志を糾合《きうがふ》し、相共に此問題を研究し来りしが、時機|稍《やうやく》到来し、茲《こゝ》に一小雑誌を刊行して我が同胞に見《まみ》ゆるの栄を得たるを謝す。
 平和の文字甚だ新《あらた》なり、基督教以外に対しては更に斬新なり。加ふるに世の視聴を聳《そびや》かすに便ならぬ道徳上の問題なり。然《しか》れども凡《およ》そ宗教の世にあらん限り、人の正心《コンシヱンス》の世界を離れぬ限り、吾人は「平和」なる者の必須にして遠大なる問題なるを信ず。吾人は苟《いやし》くも基督の立教の下《もと》にあつて四海皆|兄弟《けいてい》の真理を奉じ、斯の大理を破り邦々《くに/″\》相《あひ》傷《そこな》ふを以て、人類の恥辱之より甚しきはなしと信ず。吾人は言ふ、基督の立教の下にありと。然れども吾人、豈《あに》偏狭|自《みづか》ら甘んぜんや、凡そ道義を唱へ、正心《せいしん》を尊ぶもの、釈にも儒にもあれ、吾人|焉《いづく》んぞ喜んで袂を連ねざらんや。吾人は政論家として若《もし》くは経世家として、是《この》問題を唱道する者にあらず、尤も濃厚なる、尤も着実なる宗旨家として、善く世の道理力と人の正心とを対手《あひて》として、以て吾人の天職を尽さんとするにあり。
 抑《そも/\》、平和は吾人最後の理想なり。墳墓の外《ほか》吾人に休神せしむる者|終《つひ》に之《これ》なからんか、吾人即ち止《や》まむ。然れども苟《いやし》くも円満なる終極の天地を念々《ねん/\》して吾人の理想となし得る限りは、「平和」の揺籠《ゆりかご》遂に再び吾人を閑眠せしむる事ある可きを信ず。人と人との間、邦と邦との間に猜疑《さいぎ》騙瞞《へんまん》若し今日《こんにち
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