なん》が故《ゆえ》にこの裝飾品《そうしよくひん》を奪《うば》ふは單《たん》に斬取強盜《きりどりごうとう》の所爲《しよい》にして苟《いやし》くも理論《りろん》を搆《かま》へたる大學生《だいがくせい》の爲《な》すべからざるところなるを忘《わす》れしか、是等の凡ての撞着[#「是等の凡ての撞着」に白丸傍点]、是等の凡ての調子はづれ[#「是等の凡ての調子はづれ」に白丸傍点]、是等の凡ての錯亂[#「是等の凡ての錯亂」に白丸傍点]、は即《すなは》ち作者《さくしや》が精神《せいしん》を籠《こ》めて脚色《きやくしよく》したるもの、而《しか》して其《その》殺人罪《さつじんざい》を犯《おか》すに至《いた》りたるも、實《じつ》に是《こ》れ、この錯亂《さくらん》、この調子《てふし》はづれ、この撞着《どうちやく》より起《おこ》りしにあらずんばあらず。而して斯《か》くこの書《しよ》の主人公《しゆじんこう》を働《はたら》かせしものは即ち無形の社會而已なること云を須たず[#「即ち無形の社會而已なること云を須たず」に白丸傍点]。
 運命《うんめい》人間《にんげん》の形《かたち》を刻《きざ》めり、境遇《けふぐう》人間《にんげん》の姿《すがた》を作《つく》れり、不可見の苦繩人間の手足を縛せり[#「不可見の苦繩人間の手足を縛せり」に白丸傍点]、不可聞の魔語人間の耳朶を穿てり[#「不可聞の魔語人間の耳朶を穿てり」に白丸傍点]、信仰《しんこう》なきの人《ひと》、自立《じりつ》なきの人《ひと》、寛裕《かんゆう》なきの人《ひと》、往々《おう/\》にして極めて愍《あは》れむべき悲觀《ひかん》に陷《おちい》ることあるなり、之《これ》に加《くわ》ふるに頑愚の迷信あり[#「頑愚の迷信あり」に白丸傍点]、誤謬の理論あり[#「誤謬の理論あり」に白丸傍点]、惑溺の癡心あり[#「惑溺の癡心あり」に白丸傍点]、無憑の恐怖あり[#「無憑の恐怖あり」に白丸傍点]、盲目の驕慢あり[#「盲目の驕慢あり」に白丸傍点]、涯なき天と底なき地の間に[#「涯なき天と底なき地の間に」に白丸傍点]
[#ここから2字下げ]
What a poor wretched creature as I am,
Creeping between heaven and earth.
[#ここで字下げ終わり]
と絶叫《ぜつけふ》するもの、豈《あに》ハムレツトのみならんや。
 來島《クルシマ》某、津田《ツダ》某、等《とう》のいかに憐《あは》れむべき最後《さいご》を爲《な》したるやを知《し》るものは、罪と罰の殺人《さつじん》の原因《げんいん》を淺薄《せんはく》なりと笑《わら》ひて斥《しりぞ》くるやうの事《こと》なかるべし、利慾よりならず[#「利慾よりならず」に白丸傍点]、名譽よりならず[#「名譽よりならず」に白丸傍点]、迷信よりならず[#「迷信よりならず」に白丸傍点]、而《しか》して別《べつ》に或《ある》誤謬《ごびゆう》の存《そん》するあるにもあらずしてこの殺人《さつじん》の罪《つみ》を犯《おか》す、世に普通なるにあらずして[#「世に普通なるにあらずして」に白丸傍点]、しかも普通なる理由によつてなり[#「しかも普通なる理由によつてなり」に白丸傍点]、これを寫《うつ》す極《きは》めて難《かた》し、これを讀《よ》むものも亦《ま》た其《その》心《こゝろ》して讀《よま》ざる可《べ》からず、涙香《ルイコウ》子|探偵小説《たんていせうせつ》の如《ごと》く俗《ぞく》を喜《よろこ》ばすものにてなき由を承知《しようち》して一|讀《どく》せば自《みづか》ら妙味《みようみ》を發見《はつけん》すべきなり、余はこの書《しよ》を讀者《どくしや》に推薦《すいせん》するを憚《はばか》らず、學海居士《ガクカイコジ》の評文《ひようぶん》の目《め》に付《つ》きたるも之《これ》を以《もつ》てなり。(夜《よ》晩《おそ》く時《とき》少《すく》なく文意《ぶんい》悉《つく》さず之《これ》を諒《りよう》せよ)
[#地から1字上げ](明治二十六年一月十四日「女學雜誌」甲の卷、第三三六號)



底本:「明治文學全集 29 北村透谷集」筑摩書房
   1976(昭和51)年10月30日初版第1刷発行
初出:「女學雜誌 三三六號」女學雜誌社
   1893(明治26)年1月14日
入力:石波峻一
校正:小林繁雄
2005年9月10日作成
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