はか》り精微《せいび》の情《じよう》を寫《うつ》して己が才力を著はさんとするのみと[#「己が才力を著はさんとするのみと」に白三角傍点]。再《ふたゝ》び曰《いは》く、その原因の如きはもとより心を置くにあらずと[#「その原因の如きはもとより心を置くにあらずと」に白丸傍点]。末段《まつだん》更《さら》に、財主《ざいしゆ》の妹《いもうと》を殺《ころ》したる一條《いちじよう》を難《なん》じて「その氣質《きしつ》はかねて聞《きゝ》たる正直質樸《せうじきしつぼく》のものたるに、これをも殺したるはいかにぞや[#「これをも殺したるはいかにぞや」に白三角傍点]………さてはのち我《われ》にかへりて大にこれを痛み悔ゆべきに[#「大にこれを痛み悔ゆべきに」に白三角傍点]、」云々と言《い》はれたり。
余《よ》は學海居士《ガクカイコジ》の批評《ひゝよう》に對《たい》して無用《むよう》の辨《べん》を費《つい》やさんとするものにあらず、右《みぎ》に引《ひ》きたるは、居士《コジ》の批評法《ひゝやうほふ》の如何《いか》に儒教的《じゆけふてき》なるや、いかに勸善懲惡的《くわんぜんてふあくてき》なるやを示《しめ》さんとしたるのみ、居士《コジ》には居士《コジ》の定見《ていけん》あり、そを評論《ひやうろん》せんは一|朝《てふ》一|夕《せき》の業《わざ》にはあらじ。
余は「罪と罰」第一|卷《くわん》を通讀《つうどく》すること前後《ぜんご》二|囘《くわい》せしが、その通讀《つうどく》の際《さい》極《きは》めて面白《おもしろ》しと思《おも》ひたるは、殺人罪《さつじんざい》の原因《げんいん》のいかにも綿密《めんみつ》に精微《せいび》に畫出《くわくしゆつ》せられたる事《こと》なり、もし或《ある》兇漢《けふかん》ありて或《ある》貞婦《ていふ》を殺《ころ》し、而《しか》して後《のち》に或《ある》義士《ぎし》の一撃《いちげき》に斃《たほ》れたりと書《か》かば事理分明《じりぶんめい》にして面白《おもしろ》かるべしと雖《いへども》、罪《つみ》と罰《ばつ》の殺人罪《さつじんざい》は、この規矩《きく》には外《はづ》れながら、なほ幾倍《いくばい》の面白味《おもしろみ》を備《そな》へてあるなり。
一|醉漢《すいかん》ありて酒毒《しゆどく》の爲《ため》に神經《しんけい》を錯亂《さくらん》せられ、これが爲《ため》に自殺《じさつ》するに至
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