」は巣林子の著作中、恋愛を自然なる境地に篏《は》めて写実したるものゝ上々なる事は、余の竊《ひそ》かに自から信ずるところなるが、自然は即ち自然にてあれど、何の生命もなく何の希望もなく、其初めは肉情に起し、其終りを愛情の埋没に切りて、「よし是も夢の戯れ」と清十郎に悟ら[#「悟ら」に丸傍点]せしめたるを見ては、仏教を恨むより外なきなり。文学の極衰極盛を言ふもの、今に之れありと聞く、余は極衰論者に其極衰のいはれを聞かんことを願ひ、極盛論者に其極盛の理《ことわり》をきかん事を望む、我邦未来の文学をいかにせばや。
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(この論、極《きはめ》て不熟なり、編輯期日に迫りて再考の遑《いとま》あらず、読者乞ふ之を諒せよ。)
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[#地から2字上げ](明治二十五年六月)
底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「女學雜誌 三二一號」女學雜誌社
1892(明治25)年6月18日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2008年1月19日作成
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