我《わが》殿御かへしてたべ、何処《いづく》へつれて行く事ぞ、男返してたべなう、いや御僧とは空目《そらめ》かや」の一節。「尋ぬる夫の容形《なりかたち》、姿は詞に語るとも、心は筆も及びなき、ぼんじやりとしてきつとして、花橘の袖の香に」以下の一節|等《など》は、いかにもヲフヱリヤが狂ひに狂ひし歌に比べて多く愧《はぢ》ず。「フオースト」のマーガレツトが其|夫《をつと》の去りたるあとに心狂はしく歌ひ出でたる「我が心は重し、我平和は失せたり」の霊妙なる歌にくらべても、左《さ》まで劣るべしとは思はれず。
 疑ひもなく「お夏」は巣林子の想中より生み出《いだ》せる女主人公中にて尤も自然に近き者なり、又た尤も美妙なる霊韻に富める者なり。梅川の如き、小春の如き、お房の如き、小万の如き、皆是れ或一種の屈曲を経て凝《こ》りたる恋にあらざるはなし、男の情を釣りたる上にて釣られたる者にあらざるはなし、或事情と境遇の圧迫に遭《あひ》て、心中する迄深く契りたるにあらざるはなし、然に此篇のお夏は、主人の娘として下僕《かぼく》に情を寄せ、其情は初《はじめ》に肉情《センシユアル》に起りたるにせよ、後《のち》に至《いたり》て立
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