るもよし、苟《いやし》くも恋愛が人生の一大|秘鑰《ひやく》たる以上は、其素性の高潔なるところより出で、其《その》成行の自然に近かるべきは、文学上に於て希望せざるを得ざる一大要件なり。
抑《そもそ》も恋愛は凡ての愛情の初めなり、親子の愛より朋友の愛に至《いたる》まで、凡《およ》そ愛情の名を荷ふべき者にして恋愛の根基より起らざるものはなし、進んで上天に達すべき浄愛までもこの恋愛と関聯すること多く、人間の運命の主要なる部分までもこの男女の恋愛に因縁すること少なからず。左れば文人の恋愛に対するや、須《すべか》らく厳粛なる思想を以《も》て其美妙を発揮するを力《つと》むべく、苟くも卑野なる、軽佻《けいてう》なる、浮薄なる心情を以て写描することなかるべし。
高尚なる意あるものには恋愛の必要特に多し、そは其心に打ち消す可からざる弱性と不満足と常に宿り居ればなり、恋愛なるものはこの弱性を療《れう》じ、この不満足を愈《いや》さんが為に天より賜はりたる至大の恩恵にして、男女が互に劣情を縦《ほしいまゝ》にする禽獣的慾情とは品異れり。プラトーの言へりし如く、恋愛は地下のものにはあらざるなり、天上より地下に降《くだ》りたる神使の如きものなることを記憶せよ。野外に逍遙して芬郁《ふんいく》たる花香をかぐときに、其花の在るところに至らんと願ふは自然の情なり、其花に達する時に之を摘み取りて胸に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《はさ》まんとするも亦た自然の情なり、この情は底なき湖の如くに、一種の自然界の元素と呼ぶより外はなかるべし、之を打つとも破るべからず、之を鋳るとも形《けい》すべからず、之を抜き去らんとするも能《よ》くすべからず、宇宙の存すると共に存する一種の霊界の原素にあらずして何ぞや。
恋愛は詩人の一生の重荷なり、之を説明せんが為に五十年の生涯は不足なり、然れども詩人と名の付きたる人は必らずこの恋愛の幾部分かを解得《げとく》したるものなり。而して恋愛の本性を審《つまびらか》にするは、古今の大詩人中にても少数の人能く之を為せり、美は到底説明し尽くすべからざるものにして、恋愛の中《うち》に含める美も、到底説明し得《えら》るまでには到ること能はず、然れども詩人の職は説明にのみ限るにあらずして、説明すべからざる者をその儘に写し出るも亦た詩人の職なれば、詩の神
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