「伽羅枕」及び「新葉末集」
北村透谷
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)辻浄瑠璃《つじじやうるり》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)其|生立《おひたち》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「女+爾」、第4水準2−5−85]母《はゝ》に
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)きふ/\
−−
一は実を主とし、一は想を旨とする紅葉と露伴。一は客観的実相を尚び、一は主観的心想を重んずる当代の両名家。紅葉は「伽羅枕」を、露伴は「辻浄瑠璃《つじじやうるり》」を、時を同うして作り出たり。此二書に就き世評既に定まれるにも拘《かゝは》らず、余は聊《いさゝか》余が読来り読去る間《ま》に念頭に浮びし感を記する事となしぬ。
余は二作を読み了《をは》りける後、奇《く》しくも実想相分るゝ二大家の作に同致《アイデンチヽイ》の跡瞭然見る可き者あるを認めぬ。従来の諸作は分明に紅葉をして細微なる人情の観察者たらしめ、露伴をして逸調の奇想を吐く者たらしめたるに、不思議にも「伽羅枕」及「新葉末集」に至りて、両家の意匠の、其外部の形式の如何《いかん》に拘らず、陰然相似たる所あるが如し。
紅葉の佐太夫は女性にして、露伴の道也《だうや》は男性なり。然《しか》れども両著者の意匠中に入りて其奥を窺《うかゞ》へば、佐太夫も道也も男女の境を脱して、混沌として唯だ両主人公の元素同一なるを認むべきのみ。佐太夫とは歴々武士の落胤《らくいん》、道也とは名家釜師のなれの果て、其|生立《おひたち》を聞けば彼も母一人此も母一人、彼は娼家に養はれ、此は遊蕩《いうたう》と呼ぶ※[#「女+爾」、第4水準2−5−85]母《はゝ》に養はる。彼は売色塲|裡《り》に人と成り、此も好色修行に身を抛《なげう》ち、彼も華奢豪逸を以て心事となし、此も銀むくの煙管を路傍の狗《いぬ》に与へて去るの傲遊《がういう》を以て快事となす。此等の同致を列記すれば際限あらじ、然《しか》れ雖《ども》余が此二作の意匠相似たりと言ふは、此等外部の同致のみにあらず、作家着想の根本に入りて、理想の同致あるを認めたればなり。
若《も》し推《すゐ》して言ふ事を得せしめば、紅葉は露伴の長所に、少くとも乗入らんとせしなり、而《しか》して露伴も亦た「対髑髏《たいどくろ》」、「奇男児」等の鋭利なる奇想を廻り遠しとや思ひけむ、紅葉独得の写実界にまぐれ込まむとの野心を抱きしなり。故に「伽羅枕」は紅葉従来の作に見る可からざる奇気を吐けり、而して「新葉末集」は露伴が登壇以来見せし事なき人情の微妙を細察したり。然れども余は両作家の位地全然転倒したりと言ふにはあらず、唯だ紅葉は露伴に近づき、露伴も亦た紅葉に近寄り、而して紅葉は紅葉の本躰を備へ、露伴は露伴の実色をあらはすと言ふのみ。某評者の言へりし如く、佐太夫の生涯は江戸の苦海に沈みし後、前半部とは全く異《ことな》れる人物となれり。又た同評者の言はれし如く、所々に時代違ひの如き者あり。要するに彼が其実姉に会ひて後の心想は全く変じて、前半部若し紅葉独得の写実筆法なりせば、後半部はむしろ理想――遊廓内の女豪傑を写す筆法を変じ来りて、往々にして有り得べからざるが如き事実を写し出《いだ》す事、他の諸作に比して不似合なるを覚えしむ。究竟《きうきやう》するに紅葉は実を写す特有の天才より移つて、佐太夫なる、或意味に於ての理想的伝記を画き出たるを以て、平常《へいぜい》の細微巧麗なる紅葉の作を読み慣れたる眼には、何となく琴曲を欲《おも》ふ時に薩摩《さつま》琵琶《びは》を聞くが如きの感あるなれ。余は佐太夫を以て紅葉の理想なりとは断ぜず、唯だ其性質の天晴|傾城《けいせい》の神《しん》とも言はる可き程なるを見て、紅葉は写実の点より墨を染めたりと言はんより、寧ろ理想上の一紅唇、「両刀横へていかめし作りの胸毛男を、幾人《いくたり》も随伴《とも》に引連れ」たる姉が身を、眼下に見下さんほどの粋の粋、廓内にての女豪傑になつたる佐太夫を主観的に画き出たりと見るは非か。
去つて「新葉末集」を読め。「風流仏《ふうりうぶつ》」、「一口剣《いつこうけん》」等に幽妙なる小天地想を嘔《うた》ひ、一種奇気抜く可らざる哲理を含みたる露伴の詩骨は徒《いたづ》らに「心機霊活の妖物」なる道也の影に痩《や》せさらばひぬ。道也は実に一妖物なり、奇物なり、露伴にあらずんば誰か能《よ》く斯般《しはん》の妖物奇物を擒《とりこ》にせん。平凡無癖を以て愚物なりとし、一癖あるにあらざれば談ずるに足らずとする露伴に道也あるは、無理ならぬ事なり。蓋《けだ》し理想詩人の性として必らず人生
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング