まいました。それから直ぐ矢張り、又いなくなったのです。ところが今度は半年以上も、消息はありません。そうなると、私は馬鹿で毎日々々警察からの知らせを心待ちに待つようになりました。(笑声)
スパイが時々訪ねてくると、私は一々家の中に上げて、お茶をすゝめながら、それとなしに娘のことをきくのですが、少しも分りません。――すると、八ヵ月目かにです、娘がひょっこり戻ってきました。何んだか、もと[#「もと」に傍点]よりきつい顔になっていたように思われました。私はその間の娘の苦労を思って、胸がつまりました。それでも機嫌よく話をしていました。
私たち親子はその晩久しぶりで――一年振りかも知れません――そろって銭湯に出かけて行きました。「お母さんの背中を流してあげるわ。」この娘がいつになくそんなことをいゝます。私は今までの苦労を忘れて、そんな言葉にうれしくなりました。
ところがお湯に入って何気なく娘の身体をみたとき、私はみる/\自分の顔からサーッと血の気の引いて行くのが分りました。私の様子に、娘も驚いて、「どうしたの、お母さん?」といゝました。私は、どうしたの、こうしたのじゃない、まア、まア、お前の体は何んとしたことだといゝました。いゝながら人前だったが、私は半分泣いていた。身体中いたる所に紫色のキズがついている。
「あゝ、これ?」娘は何んでもないことのように、「警察でやられたのよ」といった。
それから笑いながら、「こんな非道い目に会うということが分ったら、お母さんはあいつ[#「あいつ」に傍点]らにお茶一杯のませてやるなんて間違いだということが分かるでしょう!」――それは笑いながらいったのですが、然しこんなに私の胸にピンと来たことがありませんでした。これは百の理窟以上です。
娘は次の日から又居なくなり、そして今度という今度は刑務所の方へ廻ってしまったのでした。私は今でもあの娘の身体のきず[#「きず」に傍点]を忘れることが出来ません。
中山のお母さんはそういって、唇をか[#「か」に傍点]んだ。
――一九三一・一一・一四――[#この行は行末より1字上がり]
底本:「日本プロレタリア文学集・20 「戦旗」「ナップ」作家集(七)」新日本出版社
1985(昭和60)年3月25日初版
1989(平成元)年3月25日第4刷
底本の親本:「小林多喜二全集第三巻」新日本出
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