ゐることが出來なかつた。こんな生活でない、もつといゝ、本當の生活があると、いつでも、考へてゐた。何んであるかちつとも分らずに、そればかり考へてゐた。が、今になつて、俺達がどんなところに轉ばうが、轉べるところは決つてゐる、といふことが分つた。分らされたんだ。君はきつと、こんなことを云ふやうになつた俺を笑ふだらう。笑はれても仕方ない人間だ。然し、俺は、俺達皆が一體どんなものであり、どんなことをして居り、それがこの社會にどんな役目と、待遇をうけてゐるものであるか、かういふことを、こゝへ來てから初めて知るやうになつた。百姓も、このことは分らなければならないことだ。こゝには、こつそり[#「こつそり」に傍点]、さういふことを研究してゐる人達がゐるんだ。俺も一寸顏を出すやうになつてから、ぼんやりながら分りかけてきた。そして、俺はびつくりしてゐる。この世の中が大變なからくり[#「からくり」に傍点]から出來てゐるといふことを初めて知つた。そして、そのどれもこれもが、皆、「俺達の」頭に成る程とピン/\くるものだ。
が、それはいづれ、詳しく書くつもりだ。そつちではどうして暮してゐる。もしなんなら、手紙を書いてくれたら有難い。
君の妹も、札幌に出てきたことを愚痴つてゐる、俺は君の妹を女給にだけはしたくないと思つて、今、何處かへ奉公させてやりたいと思つてゐる。
こんな意味の手紙だつた。
「兄、芳さん、歸つてきたツてど。」
源吉が臺所で水をのんでゐたとき、外から來た由が源吉を見て、云つた。源吉は口のそばまでもつて行つた二杯目のひしやく[#「ひしやく」に傍点]を、そのまゝに、とめて「うん※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」と、ふりかへつた。眼がぎろりとした。
「お母アからきいてみればえゝさ。」
「うん?」源吉は、水の入つてゐるひしやく[#「ひしやく」に傍点]を持つたまゝ、ウロ/\した眼で母親を探がした。
「何處さ行《え》つてる?」
由が裏口へ出て行つた。戸を開けた拍子に、いきなり雪が吹きこんできた。源吉はまだひしやく[#「ひしやく」に傍点]を、口の高さにもつたまゝ、うつろな眼をして立つてゐた。
「何處さ行《え》つたか、居ねえわ。」由が歸つてきた。
源吉は、フト思ひ出したやうに、ゴクツとのど[#「のど」に傍点]をならして、水をのむと、外へ出て行つた。
然し二分もしないで、歸つてきた。醉つた眼をすゑて。土間に立つてゐた。それから表の方を一寸見た。そして、何か考へ惑つてゐた。が、チエツ! と舌打ちすると、家へ上つた。源吉はすぐ、押入れから、垢でベト/\になつた丹前をとり出して、それを頭からかぶると、寢てしまつた。由は、隅の方で、さういふ兄を、半ば恐れながら、然しじいと見てゐた。
夜になつて、母親が、お芳のことを「驚いたもんだ。」と云つた。源吉はその時は何時ものむつちりにかへつて、飯を食ひながらだまつて聞いてゐた。
――お芳は札幌にゐたうちに、ある金持の北大の學生と關係した。そしてお芳が妊娠したと分つたときに、その學生にうま/\と棄てられてしまつた。その學生の實家は内地に澤山の土地をもつた地主だつた。
お芳は、何度も/\學生にすがつて行つた。「誰の子供だか分るもんか。」終ひにはさう云はれた。そのうちに、身體のそんな事情で、カフエーの方も工合わるくなり、大きな十ヶ月の腹で、歸つてきた。
本當は十日も前に、「こつそり」歸つてきてゐたのだつた。お芳の父親は家に入れないと云つた。貧乏百姓には、寢て米を食ふ厄介物でしかなかつたし、もう少したてば、それにもう一つ口が殖える。とんでもないものいりだつた。そして又そんな不しだらな「女郎」を家には置けない、とぐわんばつた。お芳は土間に蹴落された。「物置の隅ツこでもいゝから。」お芳は、土べたに横坐りになつたまゝ、泣いて頼んだ。――
母親のせき[#「せき」に傍点]に、お芳の父が會つたとき、「あれア、もう百姓仕事も出來ねえ、ふにやけ身體になつて歸つてきたんし、手もまツ白くて、小さくなつて……良《え》い穀つぶしが舞えこんだもんだし。――あつたらごとになつて親の罰だべなんす。」と云つた。
母が「まあ/\」と云ふと、
「なんかえゝごとでもなえべか?」ときいた。母がきゝかへすと、
「あの腹の子んしな。」と云つた。
「お前さん!」母はびつくりした。
すると、お芳の父は落着きなく、うやむやにして、頭を自分の手で押へて振りながら、歸つて行つた。「俺アは、もうどうもかもはア分《わ》かなくなつたんし。」……
母親は、源吉に、「無理しねえばえゝが。」と云つた。「あんの調子だら、あぶねえわ。」
源吉は返事も、相槌もうたず、にゐた。母親は、それから、聲をひそめて、
「よく聞いてみれば、お芳ア、そんなに札幌さ行《え》ぎたい、行ぎた
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