な夢をもつて、彼等は「熊が出る」北海道にやつてきた。津輕海峽を渡つて、北へ、北へとやつてきた。親子で行李を背負ひながら、北海道の飛んでもない、プラツトフオームもない、吹きツさらしの停車場で降ろされると、何里もの涯しの見えない雪道を歩かせられた。何處まで行つても雪で、平であつた。指も顏の皮も切つて行かれさうな風にふきまくられた。そして落着いてみれば、どこにも立札がしてあつた。拾つていゝ土地なんか、重箱のふた[#「ふた」に傍点]程も殘つてゐなかつた。たまに、安く土地が「拾へても」、それを耕してゆく金がなかつた。結局人から借りた金でやれば、二、三年經つて、その荒蕪地がやうやく畑らしくなつた頃、そのかた[#「かた」に傍点]に、すつかり、彼等の手からなくなつてゐた。――ここも矢張り住みよくはなかつた。
「國《くに》ではどうしてるべ。」
かういふ百姓にとつては、たとへ北海道に二十年ゐたとしても、三十年ゐたとしても、内地のことは忘れなかつた。死ぬ時は、内地で、――昔、自分たちには決していゝ仕打ちをさへしなかつた――村で、なければならない、さう、暗默に思つてゐた。何時でも、何時か國に歸つて行くことを考へてゐた。百姓たちが仕事の合間にフト口をきくとき、「國ではどうしてるべ。」きつと、さう云つた。内地のことは、今では、不思議にも、百姓達には、變な魅力をもつて、心の中によみがへつてきた。何かしら、綺麗な、樂しかつたものに想像されて、くるのだつた。豆腐屋の誰がどうしてゐるとか、※[#「冂」の左の縦棒を取った中に「△」、屋号を示す記号、62−2]の金[#「※[#「冂」の左の縦棒を取った中に「△」、屋号を示す記号、62−2]の金」に傍点]がまだ生きてゐるだらうかとか、角地[#「角地」に傍点]の娘が婿をとつたとか、石屋の旦那が樺太へ行つてるとか……そんなことが、ボツ/\、切れさうになつたり、途切れてから續いたり、そしてそれに結びつけて、昔の自分達のことを、ゆつくりした調子で話した。
初め、「國」を出るときには、百姓たちは、北海道へ行つたら、一働きして、うんと金を作つて、國へもどつてきて安樂に暮さう、さう考へてゐた。誰でもさうだつた。源吉の父もさうだつた。然し、どの百姓だつて、それの出來たのが誰もゐなかつた。結局内地での昔の生活とちつとも異つてゐなかつた。然し百姓はそのことをちつとも分らうともしなかつた。だが本當のところどの百姓も、現實にはとてもそんなことは駄目なことだと「分つてゐながら」、漠然と、やつぱり、内地へ金をもつて歸ることを心の何處かで思つてゐた。北海道の百姓は皆平氣でさうだつた。
たまに、内地へ一ヶ月でも行つてくるといふ者があると、(――それは然し極くまれだつた。例へば、誰か肉親が急病だとか、さういふ場合を兼ねての場合に限られてゐた。)同じ國の者が集つて行つて、自分達の親類に色々なことづけ[#「ことづけ」に傍点]を頼んだり、何かをとゞけてもらつたりした。村の樣子をきいてきて貰ふ事を約束したりした。
なんでも源吉の父親と母親が、初めて北海道に來て、雪の野ツ原を歩かせられたとき、(源吉はその時父の背におぶさつてゐた。)――丁度今ゐる村に入る少し手前の道端に、くひ[#「くひ」に傍点]が一本立つてゐたのを見た。それは日暮れに近い時で、そのだゞツ廣い野原に、そのくひ[#「くひ」に傍点]だけが、たつた一本しよんぼり立つてゐた。父親は標示杭と思ひ、まだ、何里位あるのか、その前にしやがんで雪を拂ひ落してみると、それには、「越後國――郡――村、―― ――こゝに死す」と書いてあつた。父がそのことを母に云つてきかせた。二人とも、その時はゾツと寒氣がする程の頼りなさを感じた、――「なんぼなんでも、こんな風にだけはなりたくない」さう云つたのを、源吉は何度も聞かされて知つてゐた。
そのやうに百姓は何時でも「故里」の土に結びつかれてゐた。
農村の秋はます/\深くなつて行つた。
源吉の母親は、冬ま近になると、腰が痛んできた。土間に下りて、繩を作りながら、由に、腰をもませたり、肩をもませた。由が嫌がつて逃げて歩く度に、
「ぜんこ一銭けるど。」と云つたり、それでもまだ來ないと、
「せば二錢けるど」と云つた。
由が、母の後に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて、二度か三度、肩をもんで、すぐ、
「ぜんこけれ!」
「このほいと。」
「したツて、もんだでないか。」
「もつと。」
「ずるい/\。」
「馬鹿、お母ちやえゝツてまでだ。」
「ずるい/\/\。」
「この糞たれ!」
二人で本氣になつた。そして、――がフト[#「フト」に傍点]、
「なあ、源ん――俺アこの冬、國さ行《え》つてきてえんだよ――源ん。」ヅキ/\痛む腰を自分でもみながら云つた。そして暗い顏をして源吉を
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