なさうに、だまつて、その後を見送つてゐることもあつた。發動機は荷物を積んだハシケを引張つてゐる時は、シキリなしにバタ/\やりながら、その度に身體をエンサ/\といふ風にゆすつて、進んでゐるとも分らない程の早さで、子供達の前を通つて行つた。「あら、モーター、汗かいて、ハアハア云つてる。」――子供達がさう云つた。
由が隣りに坐つてゐる仲間の手をつかんで、自分の心臟にあてさせ、「分るべ。ドキ/\つて云つてるべ。」と云つた。「あのモーターの、バタ/\ツていふの、人間のこれど同んじだつて、うちの姉云つてたど。」
皆は「んか」「んか」と云つて、てんでに今度は自分の胸に手をあてゝ見た。そして「んだ。」「んだ。」と云つた。
發動機船が通り過ぎると、子供達は、畑にゐる親達に、手傳ふために、てんでに走つて行つた。
二、三日して、小學校に、町からワザ/\呼んだ坊さんの説教があつた。それは、この一帶の地面をもつてゐる親方が、百姓の精神修養のために、一年に二度必ずそれをやつた。年寄つた百姓達はそれを待つてゐた。そして、かういふ事をしてくれる地主を、有難い方だ、と云つて、喜んでゐた。地主は、その度に若い娘にも「必ず」出るやうにと云つた。だから、若い男もそれに引かれて行くこともあつた。
その日になると、何十年といふ百姓仕事で、風呂敷のやうに皺くちやになつた、曲つた錆釘のやうな年寄が、朝から、各※[#二の字点、1−2−22]誘ひ合つて出掛けて行つた。表へ小便にも行けない老婆も、行かなければならないものだとしてゐた。七つ、八つの小娘や、十七、八の女が手をひいてやつた。それで眞黒い顏に、不似合に綺麗な赤の目立つ着物を着た人達が、畑と畑の道路に見えた。
源吉の母親は、自分の夫が死んでからは、説教は決して缺かさなくなつた。娘のお文をも、その度に、連れて行きたがつた。が、お文は相手にしなかつた。「罰當り奴」と、母が云つた。
説教が始まる頃、學校の、机や椅子をとり除けた教室が一杯になつた。集つたどの百姓も長い苦しい生活でどこか、無理矢理にひし曲げられたところがあつた。――どこか片輪だつた。年寄は、土から出てきた蟇のやうだつた。皆、久し振りで顏を合はせるものばかりだつた。同じ處にゐてさう會ふことがなかつた。色々な話が出た。煙具を出して、煙草を喫ふものもあつた。一緒に來てゐる孫達がお互にいたづらをし合つたり、年寄の圓い背を跳ね越して騷いでゐた。變に甘ずつぱい空氣で、教室がムン[#「ムン」に傍点]とした。
坊さんは、こゝから四里ほどある村(それはこの東村よりもつと村らしい村だつた。)から來ることになつてゐた。坊さんは衣を着たまゝ自轉車に乘つてきたり、箱のついた荷馬車に、座布團をしいて、それに乘つてくる事もあつた。今度は、雨が上つたばかりなので荷馬車で來た。眼のひつこんだ、眉の濃い、そのくせ頭がてらり[#「てらり」に傍点]と禿げた、背の低い四十を越した男だつた。ザラ/\した聲で、大聲で説教をした。説教をしながら、たえず落着きなく、そのひつこんだ眼でギロ/\、あたりを見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]はす癖があつた。――その、この前來た坊さんと同じ坊さんだつた。
村の百姓達は、坊さんの云ふ一言々々に、「南無阿彌陀」を云つて、ガサ/\した厚い、ひびのよつてゐる掌でじゆずをならした。
「何事も阿彌陀樣のお心ぢや。――何事も阿彌陀樣のお心ぢや。それを忘れてはなりませぬぞ、いゝですか。」
「……決して不平を起してはなりません、さうおしやか[#「おしやか」に傍点]樣はおつしやいましたぢや。何事もあみだ樣のお心ぢや。現世に於いて――この世の中に於いてぢや、苦しんだものは、あみだ[#「あみだ」に傍点]樣のお側に參つたとき、始めて大極樂を得ることが出來るのだ。あの世に行つて、ちやんと、蓮華の上に坐つて、「なむあみだぶつ」と、心から云ふことが出來るのぢや。何事も不平を起してはなりませぬぢや。」
坊さんは、物慣れた調子で、云つた。百姓達は、これ迄何度もその文句はきいてきてゐた。が、何度きいても、有難い言葉だ、と思つてゐた。そして今更のやうに頭をさげ、「南無阿彌陀」をくりかへした。
年寄つた百姓達は、今まで生きて來た長い苦しかつた生涯をふりかへつてみた。そして自分は、不平を起さなかつたといふ事が分ると、ホツとした。さういふ苦しみを堪へてきた、それで、やがてあの世に行けば、あみだ[#「あみだ」に傍点]樣のお側に行くことが出來る、年寄つた百姓はそのことより外に何んにも思はなかつた。何んだつて、この世の中の事は我慢しなければならない、と思つた。坊さんは又、お釋迦樣の難行苦行のことを持つてきて、それを丁度百姓のつらい一生にあてはめて云つた。それは百姓達を心から感激させた。
坊
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