けて行つて、獨りで、とてつ[#「とてつ」に傍点]もない大きなことを仕出かした。歸つてきて、しかも、そのまゝ、そのことは一《ひと》ツ言も云はずに、むつしり[#「むつしり」に傍点]してゐた――かういふことがいくらもあつた。ウスのろ[#「ウスのろ」に傍点]だから、さうではなくて、何か、深い、しつかりしたのがあるので、さうなのだと、勝には思はれた。
今、勝は、だから若し、源吉が役人と、ひよつこり會つたとしたら、勝はすぐ昔金持の脛にかぶりついた源吉であることを考へ、源吉が、あの棍棒で、てつきり、やらかすとしか思はれなかつた。それがまるで、「恐怖」のさそり[#「さそり」に傍点]みたいに勝の心にかぶりついてしまつた。
二人はだまつて歩いた。ぬかる道を歩く足音だけがピチヤ/\/\と續いた。それが時々、くぼみ[#「くぼみ」に傍点]に足を落して、身體を前のめり[#「前のめり」に傍点]にのめらせたとき、亂れるだけだつた。さうしながら、勝は(勿論源吉も)前の方に氣を張つてゐた。勝が自分の家に來たとき、身體から急に力が拔けて、ヘナ/\になる程、氣を使つてゐたことを知つた。「助かつた[#「助かつた」に傍点]」と思つた。
「一年振りだべ。ほら、お母ば喜ばせてやれよ。」
源吉はさう云ふと、もう勝には見えなかつた。足音だけが暗闇でし、それが、一寸聞えてゐたが、ぽつちり消えてしまつた。草原のある路を曲つたらしかつた。
それから、勝が裏口にまはつた。裏口のすぐ側にある納屋に、自分の荷物をおろしてゐると、誰かぬかる道を歩いてくる足音をきいた。勝は、自分の身體が丸太棒のやうに、瞬間、なつたのを感じた。
「勝。」――源吉だつた。
勝は、分つても、然し、すぐに口に言葉が出なかつた。「――源吉――か。」
「うん」さう云ふと、のそり[#「のそり」に傍点]と大きな身體が、源吉――か、と云つた言葉をたぐつて、寄つてきた。
「あのなア、朝になつたら、お前え、こつから川岸の家まで、一匹づゝ配るんだど。さうせ。誰も食はねえでるんだから。――買つて來たツて云へば、それでえゝ。俺の方は石田の方まで分けるよ。當り前の事だんだ! なあ。」
「うん。」
「分つたべ、んだら、行《え》ぐど。」
そして歸つて行つた。
勝には、何か、かう力強い、一つ/\どつしりした足音であるやうに思はれ、源吉のもどつて行くのを、じつと聞いてゐた。
三
雪が今にも來る、さういふ天氣と思はれたのが、上《あが》つた。
秋の終りの、空が高く晴れた氣持のいゝ日が、それから續いた。
畑も、草原も、稻村も、林も、西の方だけに、遠くに見える低い山脈も、皆狐色になつてしまつてゐた。それが、澄んだ青空にくつきり對照されて、涯もなく廣がつてゐるのを見て、百姓たちは何んだか、目新しい、急に見せられたものゝやうに思つた。
今度は本當にくる冬のために、村の人達が畑に出て仕度をし始めた。雜穀を背負つて、停車場のある町まで出て、それからその近邊をふれ[#「ふれ」に傍点]て賣つて歩くために、娘達が四、五人朝早く荷馬車に乘つて出掛けて行つた。お文もそれに加はつた。キヤツ/\と馬車の上で騷ぎながら、農家の前にくる毎に、一軒々々外から言葉をかけた。その女達は暗くなつてから、腰卷や襦袢の布《きれ》などを買つてもどつてきた。いゝ聲で、何人もで、歌をうたつてくるので、それとすぐ、家の中にゐる人には、
「あ、今歸つてきたとこだなア」と分つた。
停車場のある町から、荒物屋の小僧がよく、田舍道を自轉車に乘つてやつてきた。畑で働いてゐる百姓達は、その度に腰をのばして、見た。小僧は時々言葉をかけて行つた。
漬物の仕度をする女達は石狩川の堤を下りて行つて、拔いて來たすぐの土のついた大根を、繩ツ切れでこしらへたたはし[#「たはし」に傍点]でごし/\こすつて洗つた。そこは、河の曲り目などで、水流の關係で、砂洲になつてゐた。堤の上で働いてゐる百姓に、そこから、色々の女の歌が聞えてきた。
山方面に出來た農産物、――主に、青豌豆など――を運ぶために、發動機船が、うるさく音をバタ/\たてゝ流れに逆つて河を上つて行つた。子供達は、その音が、遠くから少しでも聞えると、どん/\川岸の道を走つた。そして、川岸の堤に腰をかけて、足をブラ/\させながら、發動機船の通るのを待つてゐた。子供達は天氣さへよければ、いつでもそれをした。發動機は「上り」だと、音ばかりして中々見えなかつた。然し河が曲りくねつてゐるので、かへつて思ひがけなく、ひよツこり現はれることがあつた。子供達が、喜んで、手をふつて、「萬歳」などゝ云つた。と、船から、青い、油じみた服を着た人が、時々帽子を振つた。子供達が、然し、いくら萬歳などゝ呼んでも、船から誰も相手をしてくれないと、彼等は、つまら
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